1.《トゥシェボン祭壇画》本作品はかつて、南ボヘミアの町、トゥシェボンのアウグスティヌス修道院、聖エギディウス聖堂の主祭壇を飾っていたものである。現存するのは、《オリーブ山の祈り》〔図1〕、《埋葬》、《復活》〔図2〕の三枚であるが、これらの板絵は、ほぼ同一の大きさを持ち、裏面にそれぞれ三体の聖人像〔図3〕が描かれていることから、本来、開閉式多翼祭壇画の翼部を形成していたものと考えられる(注2)。聖エギディウス聖堂の主祭壇は、1378年に聖マグダレーナと聖アウグスティヌスに奉献されたが、祭壇に関する記録は1380年に初めて現れることから、その頃に本祭壇画が完成したと見るのが妥当である(注3)。― 548 ―■ ボヘミア・ゴシック絵画の研究─《トゥシェボン祭壇画》に関する覚書─研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 大 野 松 彦《トゥシェボンTrˇebonˇ(独名;ヴィッティンガウ Wittingau)祭壇画》(1380年頃)〔図1−3〕は、カール四世の治世下(1347−78年)に目覚ましい発展を遂げたボヘミアのゴシック絵画史における金字塔的作品である(注1)。本祭壇画を制作した逸名画家、トゥシェボンの画家の様式は、一般に、プラハの宮廷絵画様式と1400年頃の汎ヨーロッパ的な国際ゴシック様式の双方を独創的に統合したとものと言われるが、その様式的発展のプロセスは多くの謎に包まれている。本稿では、主として本作品の造形分析を通じて、これまで体系的に解明されていない画家の絵画原理について考察してみたい。本祭壇画の制作に関する古文書は一切現存しない。しかし、画家に帰属される作品は、ボヘミアのアウグスティヌス修道院(ロウドニツェ、トゥシェボン)に由来しており、彼がこの修道会のために制作を行ったことは事実である。アウグスティヌス修道会は、14世紀に“新しき信仰 Devotio Moderna”と呼ばれる、宗教改革の前段階となる精神運動を推進した会派であるが、ボヘミアにおけるその指導者はプラハの高位聖職者たち、その最大の支援者は皇帝カール四世であった(注4)。そして本祭壇画の依頼主と見なされるのは、1367年、同地に修道院を創設した南ボヘミアの有力貴族、ロジュンベルク家のペトル二世である。彼はまた、プラハ城の王宮付属礼拝堂の首席司祭であり、皇帝の宮廷官房に仕える人物であった。この事実から、彼はプラハの宮廷画家に本祭壇画を依頼し、完成後、トゥシェボンに運ばせたと推定されている(注
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