鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
560/620

5)。《トゥシェボン祭壇画》の画家は、したがって、当該作品の制作年である1380年頃を中心に、カール四世の治世末期、おそらく1370年代から1390年頃のプラハで活動していた宮廷画家である。では続いて、本作品がどのような絵画原理にしたがっているのか、その複雑な画面構造を分析していきたい。2.トゥシェボンの画家の絵画原理画家の独創的な絵画原理は、《復活》と《オリーブ山の祈り》から導き出すことができる〔図1−2〕。それらを抽出するための有意義な出発点となるのは、「絵画空間と出来事の統一」(ヴィルヘルム・ピンダー)という概念である(注6)。ピンダーは、この概念を先行するボヘミアの同主題作例、《ヴィシー・ブロト(ホーヘンフルト)の受難伝連作》(1350年頃)との比較によって述べた。この概念は、要するに、《トゥシェボン祭壇画》が、観者に絵画の出来事を左から右に読ませる中世的な画面構造から脱却していることを意味している。本作品では、確かに、全てのモティーフが絵画空間の中に溶け込んでいるが、しかしその統一感は近代絵画のように出来事が三次元的空間の中で経験的に認識されるようなものでは決してない。トゥシェボンの画家は、絵画全体を薄明のヴェールで閉ざし、その構造を不明瞭にしているからである。したがって、画面を視覚的に統一する第一の要素は、光と色彩の明暗である。ゲルハルト・シュミットが意味深く述べたように(注7)、トゥシェボンの画家は、ジョットが人物像と空間の相互作用を最も重要な絵画原理と捉えたのに対し、それに匹敵する役割を光と色彩に与えたのである。そのことは、《復活》に最も顕著に見てとれる〔図2〕。ここでキリストは、封印された墓の上に立っているのではなく、まさしく浮かび上がっている。宙を翻る真っ赤な衣は、闇夜に煌めく火炎〈フランボワイヤン〉となってキリストの身体を上昇させ、彼を無重力状態で真空に漂わす。衣は、光によるモデリングを受けない大きな赤い色面であり、そのため、キリストは背景の暗闇からぼうっと絵画表面に出現したように見える。赤はまた、象徴的に受難を喚起させ、祝福を与えるキリストの右手からV字に開かれた空へと連なる。炎の赤と闇の黒、この激しい色彩的明暗は、画中の光によってより一層強められている。その光は、キリストの影を石棺の蓋の上、画面奥に向かって投げかけ、画面左下で復活の奇跡を仰ぎ見る番兵の影を石棺の側面に映し出す。番兵の円形盾に特徴的なように、陰影は空間的深度に従って深みを増し、石棺の後にいる墓守りたちは暗い闇の中に沈む。画面手前の番兵はキリスト像へと視線を誘導させるモティーフであり、同時に薄赤い衣が― 549 ―

元のページ  ../index.html#560

このブックを見る