鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 569 ―月)においては、日本海大海戦で敗北し、降伏したロシア側の戦艦『アリヨール』にて、日本側の海軍が『アリヨール』艦に臨み、敵方の降伏兵と接する光景が描かれている。「樺太軍の騎兵団敵を窮迫す」(『戦時画報』63号、明治38年8月)では、日本の樺太軍における騎兵団が、ルイコフ方面の山地にあるロシアを急迫する光景である。⑵ 口絵について─日露戦争(ロシア軍の敗退)日露戦争に関する作品のうち、日本軍の侵攻を描くほかに見られたのは、ロシア軍が敗退した様相を描いた作品である。「多数の鋏を分捕りし激戦」(『戦時画報』22号、明治37年9月)では、日本軍が占領した旅順の要地を、ロシア軍が奪い返そうとしたことを描いている。この口絵では、ロシア軍はそれぞれ鋏を持ち、鉄条網を絶とうとするものの、日本軍に射撃されて大損害を受けたという。この口絵では、鋏で鉄条網を絶とうとするロシア軍が手前に描かれている。「沙河の会戦、敵の一聯隊全滅」(『戦時画報』27号、明治37年11月)では、沙河会戦において三塊石山は、ロシア軍が死守する地点であったが、最終的には日本軍が占領することになった。この作品でも、日本軍が鬨の声を挙げつつ、多くのロシア軍は、その周りで倒れているさまを描いている。⑶ 口絵について─日露戦争(対話や眺望について)この章においては、戦争のなかでも、対話や眺望に関した作品を紹介する。「軍使敵の哨兵線内に達す」(『戦時画報』20号、明治37年9月)では、旅順攻撃軍によって、ロシア軍に対し、非戦闘員の避難と勧降の書面を交付している。「八月十日大海戦に於ける東郷大将」(『戦時画報』21号、明治37年9月)では、東郷大将は塔を出てデッキに出ながら戦況を見つめていた。「俘虜敵軍の現状を痛罵す」(『戦時画報』65号、明治38年9月)では、日本兵に捕らわれたロシアの猟兵上等兵ヒョードルが、ロシア軍の志気が低下していることを述べる光景を描いている。⑷ 口絵について─日露戦争(兵士と家族との対話)日露戦争に関する作品のなかでも、日本兵と家族との対話を作品にしたものに、「負傷勇士の新橋対面」(『戦時画報』18号、明治37年8月)が見られる。これは東京の新

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