― 570 ―橋停車場で繰り広げられた光景で、一本の左腕を負傷した兵士が、その母と妻に再会している様子が描かれている。⑸ 口絵について─日露戦争(2ページ大の作品)雑誌の各号においては、巻頭の口絵ページの中に、2ページの大きさに刷った口絵を挟み込む体裁が取られた。「一騎打ちの勝負」(『戦時画報』16号、明治37年7月)では、小戦ながら日本軍とロシアのコサック兵との間に行われたもので、一騎打ちにもなる戦いであった。「大石を楯にして敵塁に迫る」(『戦時画報』26号、明治37年10月)では、旅順攻撃の準備戦において、ある山の敵塁に迫った時に、敵陣を防ぐため大石を頭上に掲げて、これを押し上げつつ前進したという攻撃を描いている。⑹ 口絵について─日露戦争と係わる風俗これまでの⑴−⑸では日露戦争に関する作品を捉えてきたが、この戦争から生み出された風俗について紹介した口絵もある。「沙河対陣中の奇事」(『戦時画報』36号、明治38年1月)では、雪の季節の開戦となった沙河において、日ロ両軍の間に中国人が饅頭を作って販売すると、日ロ双方の軍人が饅頭を買いにやってきて、発砲もなされなかった。「戦地に於ける支那人の追羽子」(『戦時画報』37号、明治38年2月)では、中国人が追羽子を楽しんでいる様子が描かれている。楽しんでいるのは男性1人で、周りに中国人が5人ほど見物しており、日本兵も3人ほど観戦している。⑺ 口絵について─政治に関する作品「第十九議会衆議院の解散」(『近事画報』2巻5号、明治37年1月)では、衆議院の開会前に大勢の見物人がいた。しかし出席する議員はおらず、解散の詔勅が下りた。満場であった見物人は呆然として帰っていく。「帝国ホテルに於けるタフト氏の演説」(『戦時画報』61号、明治38年8月)では、米国陸軍大臣タフト氏一行を歓迎するために、桂首相が帝国ホテルに於いて盛大な晩餐会を開いた。首相演説のあと、タフト氏が立って答辞を述べる部分を描写。「山本海軍大臣の晩餐会」(『近事画報』70号、明治38年10月)では、日本と英国との間で開催された晩餐会の様子を描いている。画面には日英両国の旗がひらめくほか、中央の奥で立っているのが山本海軍大臣であり、その横にはノーエル大将や英国
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