鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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3 今後の調査計画前章においては、国木田独歩が編集長を手がけた『近事画報』『戦時画報』に口絵、コマ絵を提供した満谷国四郎の作品を紹介した。これによって、現存する油彩画の作品群では知ることのできない戦争画への熱心な取り組みが、口絵の制作においては看取されること、またコマ絵の作品では、戦争とは係わらない風俗画への関心が見られることが分かった。― 573 ―日露戦争(2ページ大の作品)において紹介したように、日露戦争における各種の諸場面を分かりやすく伝えた。このような蓄積があるからこそ、油彩による本格的な戦争画を制作する準備となったのではないか。戦争に関連した主題の作品については、兵士と家族との対話を物語る油彩画として、『軍人の妻』『戦の話』を第1章で示した。その一方で、第4項の日露戦争(兵士と家族との対話)における「負傷勇士の新橋対面」は、今ここに示した現存する2作品にも匹敵するような主題である。また第6項の日露戦争と係わる風俗を描いた作品にも、戦争に係わる主題の幅広さが伺い知れる。風俗に関する作品については第8項に述べた通りであるが、いずれも明治39年から40年までと、日露戦争が終結した後に掲載されたため、戦争とは関連のない風俗画になっている。同時期の現存する油彩画で、風俗を描いた作品としては、『かりそめの悩み』[明治40年(1907)、笠間日動美術館]、『車夫の家族』[明治41年(1908)、東京藝術大学大学美術館]、『二階』[明治43年(1910)、東京国立博物館]が知られている。口絵の制作においては水彩を使ったと考えられるものが多いが、第7項で紹介した「第十九議会衆議院の解散」においては、鉛筆画によって制作がなされている。不同舎が重要視した鉛筆による写生がここにおいて生かされていると言える。コマ絵では、第11、12項において紹介した風俗画が多く掲載される。戦争画とは異なる部分での才能が、このコマ絵において発揮された。風俗画のコマ絵において表現された、人物や風景あるいは花や鳥の描写は、同時期の油彩画の制作にも影響を与えていたのではないかと思われる。この『近事画報』『戦時画報』については悉皆調査を行ったものの、同じく独歩が編集を行った『新古文林』(注5)と『上等ポンチ』(注6)については、調査が未だに完了していない。これらの雑誌に対して、どのような制作を行っていたのか考えてみたい。『近事画報』『戦時画報』においては、満谷と同様に口絵、コマ絵を制作しており、この部分について比較的に知られているのが小杉未醒[明治14年(1881)−昭

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