鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ 佐々木英理子「蹄斎北馬の肉筆画について」『北斎一門肉筆画傑作選』展図録、板橋区立美術館、⑵ 本調査中の平成22年に、マティ・フォラー氏による「■飾北斎と初期門人たち」(『江戸の絵本』所載、八木書店、平成22年)が発表され、北斎および北馬ほか門人の挿絵について、編年および北斎との影響関係が考察されている。しかし挿絵の画風にまでは論及されていなかったので、今回はその点を重点的に検証することとした。⑷ 伊藤めぐみ「蹄斎北馬の初期作品と生没年について」『北斎研究』33号、東京美術、平成15年⑸ 梅本鐘太郎『浮世絵備考』(明治31年)には「弘化元年八月十六日歿す、享年七十四。」とある。また前掲注⑷論文にて、伊藤めぐみ氏は「七十五翁蹄斎筆」と落款のある肉筆画により享年が74歳ではなかった可能性を指摘しておられるが、今回「七十六翁蹄斎筆」と落款のある肉筆画を確認したため、肉筆画の年記は慎重に検証する必要があると思われる。⑶ 板坂元編・棚町知弥翻字「月岑稿本増補浮世絵類考」『近世文芸 資料と考証』2・3号、七⑹ 柴田光彦・神田正行編『馬琴書■集成』第1巻、105頁、八木書店、平成14年⑺ 安田剛蔵『画狂北斎』266頁、有光書房、昭和46年⑻ ■崎宗重「蹄斎北馬筆 江戸景観図屏風」『國華』1057号、28頁、國華社、昭和57年⑼ 永田生慈「北斎狂歌絵本一覧」『古美術』85号、26頁、三彩社、昭和63年⑽ 『国立国会図書館所蔵 貴重書解題』第12巻、書簡の部第2、45頁、国立国会図書館、昭和57間画壇においては、狩野派のような団結を維持するための規範が伴っていない流派も見られるのである。江戸期の絵画教育について具体的に記した例は多くない。近代の例ではあるが、松本楓湖(天保11(1840)〜大正12年(1923))の晩年の門弟・木本大果が楓湖の絵画教育について語った記録が残されている(注24)。それによると、「先生の指導法は(中略)粉本、いわゆるお手本を貸し、それを見て自分で描いてみなさい、というもの」で、「私の知る限り先生は一度たりとも門弟に教えたことはありません」といい、「そんな指導だからこそ門弟の作風は画一的にはならないし、個性も出る」と叙述されている。松本楓湖は、文晁に一時師事した佐竹永海にも学んでいる点をふまえると、江戸期の絵画指導はこれに近い面があるのではないだろうか。以上、これまで漠然としか語られていなかった北馬画風の形成過程について、狂歌絵本・読本挿絵を中心に北斎と比較することで具体的にすることを試みた。さらに北斎の絵画教育についても検証を進めるべく試みたが、北馬一人のみとの関係では狭窄に過ぎる。北馬以外の門人についても、今回の手法のように刊年の明らかな挿絵や錦絵と比較調査することで北斎一門の実態解明に繋がると確信したため、今後の研究課題としたい。平成20年人社、昭和38・39年― 48 ―

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