鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 579 ―並びに配する。中国式に衣をまとい、ひとつの方座に並坐する両像は、いずれも左手を膝上に伏せるが、右手は右方像が掌を内に向けて胸にあて、左方像は胸前で掌を前方に向け第1指と第3指を捻じる。2躯の如来倚坐像を横並びに配する二仏並坐の作例は、北魏時代の作と推定される古陽洞南壁のS215号龕にもみられるが、いずれも尊名を記した題記は認められず、手勢・印相などからもそれぞれの尊名を明らかにできない。二仏並坐の作例は、釈■・多宝の二仏をあらわすものが多く、釈■・多宝の二仏を倚坐の形式であらわす例も、西秦時代・5世紀前半の炳霊寺石窟第169窟北壁第11号壁画に認められる(注10)。本窟の二仏並坐像も釈■・多宝の二仏をあらわす可能性が考えられるが、何らかの尊格を双像形式であらわす可能性もあり、それぞれの尊格についてはなお検討が必要である。これまでみてきたように、龍門石窟北朝期の如来倚坐像は、いずれもほぼ同一の像容を示すものの、題記から無量寿仏に比定されるもの、周囲の図像から降魔成道の釈■または智積王子に比定されるもの、尊像の組合せから弥勒仏に比定されるものなどがある。つまり、北魏時代から北斉時代までの龍門石窟では、如来倚坐像は必ずしも特定の尊格と結びつくものではなく、その尊格はなお流動的であったと考えることができる(注11)。⑵ 唐代の如来倚坐像龍門石窟唐代の如来倚坐像は260件の作例を確認できる。その分布は西山から東山までの龍門石窟全域におよび、作例の増加にともなって像容や尊像構成などには多種多様のものが出現している。このうち題記に尊名を記すものは、「弥勒」銘が18件、「優填王像」銘が10件あり、「阿弥陀」銘のものも1件ある。以下、尊名ごとに概略を述べる。① 優填王像まず優填王像は、「優填王像」銘を有するものが10件、同一の像容を示すことから優填王像とみなされるものが42件あり、計52件の作例が現存する。このほか、像を亡失し「優填王像」銘の題記のみがのこるものが6件、残存部の痕跡などから本来、優填王像を安置していたと推定される窟龕が約55件あり、かつて龍門石窟には110件余りの優填王像が存在していたものと推測される。この優填王像の造像については、すでに多くの研究がなされており、それがインド・

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