― 596 ―子大学の研究者と西洋の研究者らの間の学術協力関係を強化、あるいは新たに始動させる大きなきっかけとなった。フランスやイギリスにおける最初の日本美術コレクションの歴史、日本や欧米における『源氏物語』の旅、そして明治以降の日仏交流におけるテキスタイルの役割といった多様なテーマを扱ってきたこれまでの国際シンポジウムと同様、今回もまた、第一にお茶の水女子大学比較日本学教育研究センターの使命に適う方法論的基準に応えるものであった。つまり、海外における日本文化の伝達と同化の背景、要素を国際的・学際的に研究することを目的のひとつとする同センターのシンポジウムにおいて、建築史学の厳密な枠組みを超え、日本学という視点からこのテーマを問うことを目的とした今回の内容は、日本建築・庭園の受容と普及に関して、複雑化した様相をみせる文化間の競合や流動の仕組みを解き明かすことに貢献する成果を得たのである。確かに、日本の建築や庭園は、海外の日本学研究、あるいは日本文化の愛好家の間において、数世紀前から今も変わらず、流行を引き起こしたり関心の的であったりしたのだが、その受容の理由、受容形態の多様さや豊かさ、その普及、またそれがきっかけで日本や西洋で起こった国際交流や文化の伝達については、まだ大部分が未研究であった。そうした意味で、今回、本シンポジウムが果たした役割は大きいといえる。さて、本シンポジウムの内容は、数少ないフランス人の日本建築史研究者である、現EFEO京都支部長ブノワ・ジャケ氏ならびにEFEO招聘教授ニコラ・フィエヴェ氏が現在日本滞在中であることから実現した。プログラムとシンポジウムの大きな枠組みはこの学術パートーナーとの合議により決定され、テーマの掘り下げを行うことになった。本シンポジウムで展開されたテーマの方向性とアプローチは次のようなものであった。Ⅰ.日本の建築・庭園の受容と普及の歴史を明らかにするために、19世紀後半から20世紀前半までの決定的な転換期に着目した。ニコラ・フィエヴェがジョサイア・コンドルをはじめとしていくつかの重要な例を挙げながら述べたように、この時期は、ジャポニズムという背景の中で、日本の伝統建築と庭園技術についての最初の文献が、どのように西洋で紹介されたのか、また近代性の発見や建築の「前衛」という見地から、このようなダイナミックな交流と国境を越えた理論の解釈の発展が、どのような役割をもったかを考察させてくれる時期である。19世紀末以降の日本の建築家が生み出した建築空間や風景は、西洋人にとって目下、日本文化の最も活発で、最も評価の高い表象の一つとなっており、さらにこの表
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