鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 600 ―の創設から今日に至るまで数えきれぬほどの催し物が営まれ、市民に開かれていたのである。15−6世紀の貴族社会では、16−30歳の若者がコンパニーア・デッラ・カルツァと呼ばれるグループに帰属した。ヴェネツィアの文化史家フランチェスコ・サンソヴィーノによれば、そのグループは、最初のものが創設された1400年から1560年の間に43もの数に上ったという。コンパニーア・デッラ・カルツァとは、「タイツの会員」という意味であり、そのメンバーは特徴的なタイツを身につけていた。それらタイツは、対照的な色彩に4分割され、膝までの部分、あるいは袖が真珠や宝石で飾られて、インプレーザを掲げてシルクの刺繍で装飾が施されてあった。また、会員は赤や黒の耳まで垂れるベレー帽をかぶり、髪は長く、シルクのひもで結ばれていた。これら特徴的な服装は服飾史に明らかとなる。ヴェネツィアに9ヶ月滞在して、同コンパニーアの情報を伝えてくれるヴァザーリの『芸術家列伝』によるならば、ピエトロ・アレティーノ等の文人、アンドレア・パッラーディオ等の建築家、ティツィアーノ等の画家、そしてヴァザーリ本人もそのコンパニーアに雇われたという。これらの芸術家や詩人、建築家らは、演劇の舞台装置を考案したり、デザインをしたりしていたはずで、重要な演劇演出のネットワークの要にいたと考えられる。同時代にヴェネツィアで活躍した画家による多くの絵画にも、それらの服装をした髪の長い若者たちが描かれ、そこに同コンパニーアのメンバーたちの姿を認めることができる。特に、物語場面を彩る才能に恵まれたヴィットーレ・カルパッチョによる絵画には、演劇的な場面が数多く描かれると同時に、コンパニーア・デッラ・カルツァに属すると考えられる若者の姿が複数登場する。例えば、ヴェネツィアの聖ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂内に描かれた聖ウルスラ伝(現アカデミア美術館)には、ヴェネツィア総督を輩出したロレダン家の若者が特徴的なタイツをはき、長髪姿で描かれた《イングランド宮廷への使者の到着》が含まれている。カルパッチョは、コンパニーア・デッラ・カルツァの図像を確立し、その後ジョルジョーネやティツィアーノらに受け継がれたということができる。その二人による共作と考えられる名高い《田園の奏楽》(ルーヴル美術館)にも、豪華な意匠をまとったリュート奏者が描かれ、同コンパニーアの象徴である2色のタイツをこれ見よがしに見せているし、ティツィアーノの《アンドロス島のバッカス祭》(プラド美術館)にも背景に当世風の服を身につけタイツを見せている観者が描かれている。これまで、注目されることが少なかった人物の意匠は、このコンパニーアという視点がなければ、見過ごされてしまうであろう。デューラーによる数多くの版画にも、演劇的な人物、また怪物や奇妙な意匠が頻出

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