― 605 ―であったが、大変有意義な意見を聞くことができた。同日、テルアビブへレンタカーで移動し、午後8時からテルアビブ現代アートセンターでレクチャーを行った。このセンターは、現代アートを学ぶ若者たちのための講座を持っており、毎週月曜日の夜にこうしたレクチャーを学生および一般の来場者に無料で開講している。テルアビブは、イスラエルの中でもアーティストが最も多く集まっている土地であり、商業的・文化的に最も重要な町である。イスラエルで最も経済活動が盛んで、町の中心に地中海に面した美しいビーチを抱え、最も「世俗的」な若者文化の中心地でもある。センターでのレクチャーでは、基本的にハイファ大学東アジア学科で行った発表を踏襲し、遺影写真にまつわるレクチャーを行ったが、来場者が一般客であったことから、内容は歴史的なことよりも現代の日本の写真家たちが、こうした遺影写真の伝統をどのように解釈しているのかということに絞って話をした。1時間あまりのトークののち、質疑応答となった。質問は主に、なぜ現代写真にとって遺影写真のような、いわゆるハイアートにない表現が重要になってきたのかということに興味が集まった。そこで、荒木経惟、深瀬昌久、倉谷拓朴という3人の現代作家たちの「遺影」へのアプローチの違いと共通点というところを重点的に説明・解説した。翌日、テルアビブからエルサレムへレンタカーで移動し、同地に宿泊した。エルサレムは衆知の通り、政治的・宗教的に大きな問題を抱えている土地であり、国際的にはイスラエルの首都であることが認められてはいない。ヘブライ大学はイスラエルを代表する大学であるが、主に宗教学や政治学の分野では保守的な傾向をみせる。同時に、ハイファ大学、テルアビブ大学とならんで、イスラエルにおける東アジア研究の拠点でもある。東アジア研究は、イスラエルにおいては、左翼的な学者が比較的多いという傾向がある。ちなみに、原理的なユダヤ教の考え方からすると、宗教的な人々は聖書以外の学問をしてはならないため、学者であるということは既に世俗的であり、ついで左翼的であるとみなされている。東アジア学会は、オープニングが既に24日に行われており、幾つかのパネルも行われていたが、主なパネルや発表は25日に集中していた。その中で、私が参加したパネルは午後2時から行われた。既に同内容で2回の発表を行っていたので、内容も推敲することができていたこともあり、3回のうち最も簡潔にまとまった内容を話すことができた。他の発表は、韓国の現代写真について、日本の「もの派」の写真について、中国の映画監督ヤン・フートンのスチール写真について、そして森村泰昌の写真表現についてなどであり、日本を中心にした東アジアの現代写真表現について議論がかわ
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