翌5月26日はカンファレンス最終日であり、多くのパネルが行われた。私は主に日本に関係するパネルを選んで見学した。カンファレンスは、在イスラエルの日本研究者が多く参加しており、また、およそ50カ国の国々からの参加者があり、有意義な交流をはかることができた。5月27日から29日にかけては休暇とし、その間、日本の中世美術史の研究者であるヤアラ・モリス、日本現代美術史研究のオシュラット・ドタンとともにイスラエル各地を回った。モリスはユダヤ教およびキリスト教の伝説に登場する場所を案内してくれ、ドタンはテルアビブの現代アートのギャラリーや劇場を案内してくれた。テルアビブでは、多くのパレスチナのアーティストがギャラリーで紹介されている事例などを見学することができた。5月29日にはハイファに到着し、翌30日に再びハイファ大学美術史学科のコロキウムで発表を行った。内容は、日本の近代写真をテーマとしたもので、タイトルは「新しい女性美の提示:堀野正雄による戦前・戦中期におけるアジア女性を写した写真」というものであった。これは申請者の博士論文の一部をなすもので、戦前・戦中期の日本の写真表現が、帝国主義政策と連動しながら新しい女性の美を生み出して行ったことについて紹介した。本発表では日本の女性美というものが、どのように社会的・美学的に形成されていったのかを堀野正雄という写真家を通して考察した。取り上げたのは新興舞踊の男性ダンサーたちのジェンダーを超えた外見、30年代前半の女性の職業モデルのモダンな美、そして30年代後半のアジア女性の素朴で土着的な美を表現した堀野正雄の写真群であった。質疑応答では、女性美の象徴性について、モダンエイジにおける土着的な美へのまなざしについてなど議論した。― 606 ―された。長いパネルであったが、百人あまりの来場者があり、パネルとして非常に盛り上がったものであったと思う。その後、懇親会があり、パネルの内容について、他の参加者や来場者たちと多くの意見を交わすことができた。イスラエルという場所は、日本学が必ずしも大きな市民権を持っているわけではないが、それでも確たる地位を築いていることが感じられる派遣であった。すべての発表で、日本で発表するのとは異なる反応を得ることができ、それは日本を拠点に主に日本のことを中心に研究している者としては得難い経験であった。
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