鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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研 究 者:ピサ高等師範学校 美術史学科 博士課程  増 田 千 穂序:シビュラと預言者のパラレリズムこの小冊子の特色は、シビュラが12人のグループで紹介されていることである。シビュラといえばそれまで、アウグスティヌスが『神の国』で取り上げたエリュトライのシビュラ、ウェルギリウスが『アエネイス』『詩選』で謳ったクマエのシビュラ、ヤコブス・デ・ウォラギネが『黄金伝説』の中で紹介したティブルのシビュラなどが特に有名であった。しかしこの小冊子では、この3人のシビュラを含む12人のシビュラが並べられている。さらに、12人それぞれに託宣が与えられ、それに対応する12人の預言者とその預言が並列されることで、ここでは「異教古代の女性予言者」と「ヘブライの男性預言者」という完全な対応関係が作り上げられている。先行研究ではこの小冊子の起源として、1432年以前に描かれたとされるローマ、オルシーニ枢機卿邸の「カメラ・パラメンティ」の装飾の存在が指摘されてきた(注2)。ポッジョ・ブラッチョリーニが「枢機卿がすべてのシビュラを最大の入念さでその銘記とともに描かせた」(注3)と証言しているこの作品は、《12人のシビュラ》が表された最初の例とされているが現存はしておらず、いくつかの写本によってその内容が伝わるのみである。そのひとつ、リエージュ所蔵写本に見られる『キリストの受肉に関する12人のシビュラの予言(Prophetie XII sibillarum de incarnatione Christi)』と題された記述では、オルシーニ邸に描かれた12人のシビュラの年齢、容姿、服装のディスクリプションと、壁画に書き込まれた託宣の写しが順に紹介されている(注4)。それぞれのシビュラの間には、旧約の預言者の名前とその預言の一部が短く差し挟まれており、たしかに1481年、ドメニコ会士フィリッポ・バルビエーリは、小冊子『聖なる博士ヒエロニムスとアウグスティヌスの相違』を出版した。この中でバルビエーリは、「12人のシビュラ(古代の女性予言者)」(ペルシア、リビア、デルポイ、キメリア、エリュトライ、サモス、クマエ、ヘレスポントス、ピュリギア、ティブル、エウロパ、アグリッパ)を取り上げ、図像とその託宣を紹介した〔図1、2〕。これは造形美術にも影響を与え、15世紀末に描かれたほぼすべてのシビュラ像作品にこの小冊子からの引用が見られるほか、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂のシビュラ像のインスピレーション源としても指摘されてきた(注1)。― 53 ―⑥ 15世紀初頭のイタリアにおけるシビュラ─オルシーニ邸《12人のシビュラ》にみる「ローマ」と「女性」─

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