鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.オルシーニ邸の《12人のシビュラ》:現存する写本オルシーニ邸の「カメラ・パラメンティ」に描かれた《12人のシビュラ》は、前述オルシーニ邸でシビュラと預言者がともに描かれていたかのような印象を受ける。しかし、この対をよく見てみると、12人のシビュラに対して預言者は13人登場し、さらにイザヤとミカは2回ずつ引用されており、ここにある通りの組み合わせで「カメラ・パラメンティ」にシビュラと預言者が描かれていたとは考えにくい(注5)。のリエージュ所蔵のものを含め、以下の写本によって伝えられている。リエージュ、グラン・セミナリオ図書館、ms.6F1, 245v−248v(15世紀)トンゲルロ、修道院古文書館、ms.AATV nr.136, 117r−124v(1450年頃)ブリュッセル、王立図書館、ms.3553−3567, 265v−267r(1440−70年頃)ミュンヘン、バイエルン州立図書館、ms.clm.19859, 187v−188v(1477−78年)オロモウツ、州立科学図書館、ms.M II 58, c.248r−v(1432年以前)このほか、オルシーニ邸のものとの明確な記述はないが、上記写本と内容が一致する写本が、シュトゥットガルト、ベルリン、パドヴァなどに存在し、15世紀を通して広く流通していたことがわかっている(注6)。本論ではこれに、今回の助成による調査で発見したパリ国立図書館所蔵本を付け加え、ここに報告したい。パリ国立図書館所蔵写本ms.lat.9670、19r−20rには、オルシーニ邸のものとの言及はないものの、上記5写本と一致する内容の「12人のシビュラ」についての記述が見られる(注7)。写本の成立はその内容から1428年直後と考えられ、オルシーニ邸の装飾とほぼ同時期における「12人のシビュラ」に関する証言としては、オロモウツ写本と並んで貴重なものといえる。この写本で興味深いのは、12人のシビュラが「世界全史(Storia Universale)」を代15世紀のシビュラ像を論じる上で、バルビエーリの小冊子はこれまで数多くの研究で取り上げられてきた。その中で、それまで単独でしか有名ではなかったシビュラがグループで表されはじめたのは、「ヘブライの男性預言者」と「異教古代の女性予言者」というパラレリズムを築くためである、という理論が漠然と定説化されてきた。しかし、そのバルビエーリが参考にした15世紀のシビュラ像流行の始祖ともいえる作品、オルシーニ邸の《12人のシビュラ》の成立背景からは、15世紀初頭にはまったく別の文脈で「シビュラ」が注目されていた様子が垣間見えてくる。― 54 ―

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