グスティヌスである。彼は『神の国』第18巻22章において、ロムルスがユダ王国の王アハズもしくはヒゼキヤと同時代人であることに触れ、続く第23章の冒頭で「同時代にエリュトライのシビュラが予言したと言われている」と述べている(注16)。そしてこの章すべてをシビュラに割き、26行のアクロスティック形式の終末に関する予言のラテン語訳を紹介した(注17)。アウグスティヌスによるシビュラの歴史的位置づけは、中世の歴史家にも受け継がれた(注18)。枢機卿の蔵書中、《著名人像》の構想に影響を与えたと考えられているロムアルド・グアルナの『年代記』(注19)、ヴァンサン・ド・ボーヴェの『歴史の鑑』でも、シビュラはロムルスの同時代人として登場する。特に後者では、ロムルス、アハズ、ヒゼキヤについて述べた第2巻99章の後の三章をシビュラに割き、第100章ではアウグスティヌスの『神の国』を、第101章ではアクロスティックを、第102章ではイシドルス『語源誌』を引用しており(注20)、パリ写本の構成と酷似している。おそらくパリ写本は、『歴史の鑑』の構成を利用しながら15世紀初頭に作成された年代記なのだろう。しかしここで重要なのは、アウグスティヌスに言及していながらその有名なアクロスティックは引用せず、代わりにオルシーニ邸の《12人のシビュラ》と同様の託宣を採用していることである(注21)。これは、パリ写本とオルシーニ邸の装飾においてなんらかの理由で、当時一般的であった「終末」の予言よりも、「キリストの受肉」を予言したというイメージを、シビュラに積極的に与える意図があったことを示唆している。一方、オロモウツ写本の「12人のシビュラ」は、7つの時代に分けられた著名人リストの後の追記として現れる(注22)。この追記は、ローマ建国者とローマの主要スポット、モニュメントリスト(241v−243r)、ローマの13地域(243v−244v)、ローマの著名女性リスト(244v−245r)、ローマの教会の贖宥について(245v−247v)、ローマの枢機卿職と修道院リスト(247v−248r)、十人委員会とポエニ戦争について(248r)、「カメラ・パラメンティ」の12人のシビュラ(248r−v)、七賢人(249r−v)で構成されている(注23)。ここで、追記の内容がすべて「ローマ」に関することであり、その古代と現代を列挙していることは興味深い。特に古代ローマの主要スポットと、現代の教会、修道院のリストの並列は、この写本が書かれた1420年代、教会分裂終結後最初の教皇マルティヌス5世のローマ入りに伴い、都市をキリスト教の都として復興すべく、古代建造物の修復計画が進められていたこと、そしてオルシーニがその主導者であったことを思い起こさせる(注24)。― 57 ―
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