注⑴ Barbieri, F., Discordantiae nonnullae inter sanctum Hieronymum et Augustinum, 1481. Cf. Mâle, E., L’art religieux de la fin du Moyen-Age en France, Paris, 1969(6eed.), pp. 253−277. なお、本報告書では、キリスト教的「預言」と区別するため、シビュラを「予言」者と示す。⑵ バルビエーリの小冊子とオルシーニ邸の《12人のシビュラ》についてはIbid. pp. 258−261.; De Clercq, C., “Qualques séries italiannes de Sibylles”, Bulletin de l’Institut Historique Belge de Rome, XLVIII−XLIX, 1978−79, pp. 105−127.; Settis, S., “Le Sibille di Cortina”, Renaissance studies in honor of Craig Hugh Smyth, II, 1985, pp. 437−464.; “Sibilla Agripa”, Etudes de Lettres. Revue de la Faculté des Lettres de l’Université de Lausanne, 4, 1985, pp. 89−116.; Gagliardo, M., “Le Sibille nel giardino : un ciclo di affreschi per Giovanni Romei a Ferrara”, Prospettiva, 64, 1991, pp. 14−37.; “Una raccolta di ‘scripta’ dallo ‘studio’ del cardinale Giordano Orsini e gli affreschi delle Sei Età del Mondo nel suo palazzo romano”, Annali della Scuola Normale Superiore di Pisa, Classe di Lettere e Filosofia : Quaderni 4, 1996, 1/2, pp. 107−118.; “I ‘Quattro elementi’ della ‘Sala Theatri’ nel palazzo romano del cardinale Giordano Orsini”, Prospettiva, 108, 2002(2004), pp. 36−64.; 伊藤博明『ヘルメスとシビュラのイコノロジー─シエナ大聖堂舗床に見るルネサンス期イタリアのシンクレティズム研う。シビュラの「女性の美徳」のイメージは、15世紀半ばには定着していた。フィラレーテは1460年代に執筆した『建築論』の中で、「賢明」の美徳を描く際にふさわしい女性像としてユーディット、ペネロペらとともにシビュラを挙げている(注33)。オルシーニ邸の《12人のシビュラ》に「終末」ではなく「キリストの受肉」の託宣が与えられたのも、ボッカチオが生んだその「純潔」のイメージを効果的に利用した最初の例と考えられるのである。結び:オルシーニ邸の《12人のシビュラ》のイメージ15世紀のシビュラ像流行の始祖、オルシーニ邸に描かれた《12人のシビュラ》像は、必ずしも「ヘブライの男性預言者」とのパラレリズムから生まれたのではない。まずそれは、同枢機卿の依頼によって同時期に描かれた「世界全史」を表す《著名人像》の構想に深く関係し、アウグスティヌスの証言に従い「ローマ建国」の時代の人物として重視された。しかし、当時一般的であった『神の国』における「終末」を予言したシビュラのイメージは払拭され、オルシーニ邸では「キリストの受肉」を予言したシビュラが新たに創作される。その背景には、枢機卿が再興しようとしていた「古代ローマ」と新しい教皇庁とを結びつけるシンボルとして、さらにボッカチオに起因する「女性の美徳」の象徴として、シビュラが認識されはじめたことが見てとれるのである。― 59 ―
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