― 65 ―⑦ 全盛期黄表紙挿絵の画中モチーフに見られる文字情報についての考察研 究 者:武蔵野美術大学 非常勤講師 鶴 岡 明 美はじめに安永4年(1775)、『金々先生栄花夢』(恋川春町作画)を嚆矢とする黄表紙は、作中に当世風俗を盛り込む点において従来の御伽話や歌舞伎を題材とする青本とは面目を一新した草双紙の一ジャンルであった。地の文や台詞と緊密に関連する黄表紙挿絵において画中に文字情報が頻繁に現れることに注目した筆者は、既に初期黄表紙を対象にそれが表現に与える役割について検討を試みた(注1)。その成果を踏まえ、天明年間(1781−1788)に全盛期を迎えた黄表紙の挿絵における文字情報の分析に取り組んだのが本研究である。この時期においても当世風俗は依然として重要なテーマであり、当時流行していた美的生活理念、あるいは行動原理である「通」と分ち難く結びついていた(注2)。「通」とは遊里を始めとする文化社会において見事に行動することであるが、黄表紙の世界においては「通」および「大通」を外題とする作品が天明6年(1786)頃まで毎年5、6部登場することとなった(注3)。さらに『大強化羅敷』(青楼白馬作・北尾政演画、安永8年(1779))をその一例とする、見越入道を通人に仕立てる趣向のように、異世界を舞台とする諸作を含めるならば、「通」の影響は実に多くの作例に及んでいた。一方「通」は、同時期に流行していた「唐風趣味」とも深く関連していたが、その具体的な表れとして、中国風文房具の愛用ならびに唐風の書への関心を掲げることができる。当時黄表紙とともに流行していた文芸ジャンルである洒落本には、例えば大通の素養として「てん字は親和。楷書は東皐」すなわち篆書、および楷書の名手として、当時流行の書家である三井親和、さらに沢田東江とおぼしき人物の名を掲げるものがある(安永7年(1778)、田水(田螺)金魚作の『傾城買指南所』)(注4)。さらに通人の唐風志向が洒落本や黄表紙の挿絵にも表れていることは、洒落本『玉菊燈籠弁』(安永9年(1780)、南陀伽紫蘭作)〔図1〕、黄表紙『大通人穴扖』(市場通笑作・鳥居清長画、安永8年)〔図2〕などに見られる通りである。こうした例においては、孔雀の羽や唐様の書が、「通」の世界の雰囲気を示す道具立てとして用いられている。このように「通」と「唐風趣味」を背景とする天明期黄表紙において、画中の文字情報はいかなる役割を果しているであろうか。本小論においては、特に注目すべき文字情報の諸例を以下2章にわたって紹介し、それらが生み出された経緯についての考
元のページ ../index.html#76