第1章 全盛期黄表紙に見る「文字遊び」の要素1.「文字遊び」の諸相「通」をテーマとする黄表紙作品を通覧すると、そのなかには、遊戯的に用いられている文字が重要な役割を果している例が存在することに気付かされる。― 66 ―察に及ぶこととしたい。まずは「文字絵」の例を掲げると、先にも触れた『大強化羅敷』所収の一場面である。ここでは、見越入道を江戸へと誘う「通う神」が文字を象った姿で登場し、入道に通人になれと告げるのである〔図3〕。また、『誤歟大和功』(朋誠堂喜三二作・北尾重政画、天明3年(1783))は、通全盛の朝廷を舞台とする、いわゆる天王物であるが、この朝廷に「もろこしの半通王」から親書が送られてくるという場面〔図4〕において、「金金仁政」で始まる親書の語句を書き連ねた、一見意味不明な文面による衝立が配置されている。解読のヒントは、その前に座る登場人物の一人、深川三位(三井親和のもじり)の台詞「てんしょの寿の字のひっぽうの通りによむのでござります」である。確かに、次の場面において三位が読み上げる順に衝立上の漢字を繋ぐと、衝立上に「寿」の字状の形が浮き上がるのである。「寿」の字を大書した親和筆の衝立が広く好まれたことは、例えば『通者言此■』(北尾政演画、安永9年(1780))〔図5〕をその一例として、挿絵中にその種の衝立が頻出することからも明らかである。上記『誤歟大和功』挿絵中の「判じ絵」の成立は、こうした流行を背景に成立したものと思われる。別稿において紹介した同年の喜三二作『三太郎天上廻』もまた、文字を玩ぶことで「通」を笑うという発想において共通する(注5)。その後この傾向は、天明5年(1785)の『鬼崛大通話』(喜多川行麿画)において、さらなる高まりを示す。この作中においては、他ならぬ「通」字があたかも生き物のように浮遊する。すなわち、雲の上から落ちた久米仙人から「通力」が逃げてゆく場面では、弱々しく小さな「通」字が仙人の体から出た吹き出しの中に心なしかしょんぼりした佇まいで描かれる〔図6〕。次の場面でこの「通」字は、大きさを増して大江山に達し、放射状の光のようなものを発して酒呑童子や鬼達を通に変えるのである〔図7〕。また別の場面では、久米仙人に再び通力を授けた大通仙人が、各々の字画に「仁・義・礼・智・信」を始め、「通」を構成する要素を当てはめた「通」字の大書を用いて「通」の講釈を行なう〔図8〕。
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