第2章 『江戸生艶気樺焼』挿絵の文字情報─「小便無用」再考─1.京伝と「聯」─読者に開かれた「窓」─先の拙稿において筆者は、この「小便無用」の文言が柱にかける板状の札に書かれていることに注目し、同種の札が他の作例にも見られることを示した。ただしその名称は、翻刻に倣って「柱かけ」とし、これが唐風文化の流行とともに日本にもたらされた「聯」である可能性については注に記すにとどまった(注11)。本稿においてはこれを「聯」と特定し、他の黄表紙作例における用法を検討し、その傾向を明らかに― 68 ―に制作されていた。すなわち前者の例としては、遊びを戒め、勤勉を説く姿勢に貫かれた「教訓の通笑」こと市場通笑の諸作、後者の例には安永7年回向院にて行われた信州善光寺阿弥陀如来開帳に取材した『夢中御利益』(呉増左作・鳥居清経画、安永7年)のように、開帳にまつわる霊験譚を題材とする作例などが想起される。こうした点から、黄表紙において「通」や「心」といった目に見えない概念を表すに当たり、教訓書、あるいは仏教関係のイメージから何らかの発想のヒントを得たという推測は、あながち突飛なこととは言い難いであろう。さらに黄表紙および洒落本における「通」は、「いかにして通人たりうるか」という視点から談義される対象でもあった。さらに、洒落本『無頼通説法』(恋川春町作画、安永8年)、『大通禅師法語』(蘭爾作、安永8年)の例にある通り、この談義の手法は仏法の講話に倣う場合があることが注目される。すなわち、少なくとも解釈へのアプローチの仕方において、「通」と仏教との接点が確認されるのである。とすれば、一見文字を玩んでいるかに見える上記の諸例は、談義の対象ともなる「通」の特質が、民衆教化のために仏教思想や教訓を図像化する際の表現技法を引き寄せたものであると考えることができるのではないだろうか。筆者は既に、天明5年(1785)刊『江戸生艶気樺焼』(山東京伝作画)挿絵における、主人公艶二郎が妾を抱える場面〔図12〕で、彼の背後に記された文字情報である『小便無用』に着目した。そしてこの語が、わざと寝小便をして仕度金を持ち逃げする妾、「小便組」を指すとともに、室井其角の句「此ところ小便無用花の山」を踏まえるという従来の指摘に加え、京伝が複数の自作において繰り返し書き込んだ、この下卑た文言によって艶二郎の通ならざる面を強調したという見方を提示したのである(注10)。本章においては、その後の知見を踏まえ、より多角的な視点から作者京伝が本図に託した表現意図について考察を試みることにしたい。
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