― 69 ―すること、またその受容の過程を推測することを通じて、「小便無用」の位置付けを再考することにしたい。黄表紙挿絵において聯は、その多くが作中人物である男性の書斎を飾るものとして描かれている。とりわけ『敵討駿河花』(伊庭可笑作・北尾政演画、天明元年(1781))〔図13〕、また『古道具穴掃除』(虚空山人作・竜向斎(式上亭柳郊)画、天明7年(1787))においては中国風の文房具と共に唐風趣味に満ちた居室の雰囲気を表す役割を果している。このような「聯=唐風趣味」という認識が広く共有されていたことは、『吉備好日本智恵』巻頭の挿絵において中国好みの朝廷の描写の中に聯が含まれていることからも了解される。また、通人の流行語や小道具を擬人化した作『化物通人寝言』(北尾政美作画、天明2年(1782))〔図14〕の、「点」と記された化物の頭部に当たる「半面美人」と書かれた板を聯と見なすことが許されるならば、通人のアイテムとしての聯、という共通認識が存在していたことになるであろう。一方こうした聯を浮世絵の一枚物に見出すことは極めて稀である。これまで管見に及んだ限りでは、一筆齊文調の揃物「花相撲」所収の「西小結 逢身屋半太輔」(注12)(旧Vever)、喜多川歌麿の「扇に文字を書く遊女と禿」(P. シャイベコレクション)〔図15〕(注13)にとどまる。また、私的な出版物である摺物においても蹄斎北馬「草加屋楼上」(アムステルダム国立美術館蔵)の一例が発見されたのみである。今後とりわけ摺物の調査が進むことで、同種の例を見出す可能性は存在するが、男性の居室という一枚物や摺物のテーマにはなりにくい場所を飾る道具である聯は、やはり主として黄表紙に登場するモチーフであると見なしてよいであろう。一方、本章において取り上げる「小便無用」の聯のように、作中人物の内心、あるいは作中人物へのからかいを表明する文言を擁する聯の例について見るならば、先の拙稿において取り上げたものに加え、今回新たに『全盛大通記』(桜川杜芳作、天明4年(1784))の「不争三萬六千日」(おとなしい作中人物上手太貞盛を評す)、『天慶和句文』(山東京伝作、天明4年)「みな人のひるねのたねやおれが事」(作中人物のお月様の句)、『廊中丁子』(山東京伝作、天明4年)「夢蝶ものはたのみ初てき」(主人公荘子郎が作中で見る、蝶にまつわる夢を暗示)の3件が判明した。興味深いことに、これらの黄表紙は全て山東京伝が北尾政演の画名で挿絵を担当している。従って「小便無用」の聯はもとより、先の拙稿(注14)で紹介した『草双紙年代記』(岸田杜芳作、天明3年)の例も加えると、この手法による聯は政演挿絵によるものが大半を占めることになる。このことから主として京伝がこの手法を開拓したと見なし得るのである。
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