3.作者(絵師)を暗示する〈商標〉としての「小便無用」次に聯という視点から少し離れ、「小便無用」という言葉が京伝作をアピールして― 71 ―た日本の聯であるが、このあたりの事情については詳らかではない。そもそも「聯」という言葉を擁する江戸期の文献自体、これまで調べた限りにおいてではあるが、松浦静山『甲子夜話』巻16、三井親和の盛名について述べたくだりで「酒店妓楼の聯額、神仏の幟の字も、皆三井の書と云ほどに成り(以下略)」(注19)とあるものを見出したのみである。聯についての記録の発掘自体が今後の課題というのが現状なのである。しかしながら限られた材料に基づき推測を及ぼすことが許されるならば、聯の流行以前から既に竪形の看板、あるいは柱隠しといったものが存在していたため、それらの形に倣った可能性を指摘することができる。いずれにせよ、聯がある意味正統的でない形で定着していたことは明らかであり、しかもそのことを知識人層である黄表紙作家や読者は心得ていたのではないかと思われる。というのは、日本における唐物流行を中国における和物愛好に焼き直した趣向に基づく『此奴和日本』(四方山人作・北尾政美画、天明4年)において、和物に関する中国人の様々な間違った解釈を描写するなかで「書状差し」を柱隠しとして掛け置くというくだりがある。これが、勘違いの対象に柱隠しを選ぶことで、日本人における正統的でない聯の導入を暗示しているようにも読み取れるからである。以上の考察から導き出された聯をめぐる諸事情、すなわち中国の正式な聯の形を伝えていないこと、文献への記載が乏しいこと、ひとひねりした形ではあるが、「勘違い」の題材とされていること、以上の諸点から、聯の出自の曖昧さ、いかがわしさが浮かび上がってくる。そこで、こっそり笑われたり、心中を暴露されたりする作中人物こそ、出自の曖昧な聯に相応しいという発想が、そもそも聯を選択する根底には存在していた、という推測をここに提示したい。いた可能性について論じることにしたい。路上での立小便を禁じるこの語句が、京伝作画、あるいは政演として挿絵を担当した作品の、市井風俗を描く場面において頻出することについては拙稿にて触れた通りである(注20)。この語句への彼の執着ぶりは、日本を離れ、三国を舞台とする『無匂線香』(天明5年(1785))においても、篆書にて「小便無用」と書き込む箇所が存在することからも窺えよう。一方、この「小便無用」のように長期にわたる使用ではないものの、1〜2年にわ
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