鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ 拙稿「初期黄表紙挿絵の画中モチーフに見る文字情報─現実とフィクションの交錯、および― 72 ―たって同じ語句を繰り返し用いる例については幾つか確認されている。一例を掲げるならば、天明2年(1782)『再評判』(在原艶美作)の主人公梅町の居室に立てられた貼交屏風の文字「怪留客□」は、翌3年『仇名草伊達下谷』(南陀伽紫蘭作)、『通春歳且開』(岸田杜芳作)に、同じく貼交屏風の文字として継承されている。画中の文字情報に対する京伝の細やかな配慮からすれば、こうした例も単なるモチーフの使い回しとして看過すべきではないであろう。先の「小便無用」の例と合わせて解釈するならば、特定の文言を積極的に自作に取り込むことで、自らが制作に携わったことをアピールする意図を濃厚に汲み取ることができるのではないだろうか。すなわち、この場合において京伝は画中の文字情報を特定の作者を暗示するために用いていたということになるであろう。このような見方を踏まえて、再度『江戸生艶気樺焼』の「小便無用」に戻るならば、この文言の役割として、同作品がまさに京伝の手になることの高らかな表明を加えることができるのではないだろうか。この解釈を傍証する作品として、同書の大当たりを受けて翌年刊行された、艶二郎の後日譚『通町御江戸鼻筋』(唐来参和作・北尾政演画)を掲げる。この作中には、京伝自身をモデルにした人物、伝二郎も登場し、最後には艶二郎に鼻を削がれるという憂目に遭う。その姿を描く図の背後には、篆書で「小便無用」と書かれた衝立が配されているのである〔図19〕。まさにここにおいて「小便無用=京伝」という図式の完結を認めることができよう。おわりに以上、「通」「唐風趣味」というキーワードに導かれ、天明期黄表紙挿絵の特質の一端を明らかにすることを試みた。今回の助成研究においては、当該時期の黄表紙挿絵を網羅的に調査し、その表現の大筋を捉えるという点において一定の成果を得ることができたが、一連の考察を通じて、この時期の黄表紙挿絵における文字情報の表現が、ジャンル内での相互影響に留まることなく、教訓書などにある民衆教化のための図像や、聯を始めとする唐風趣味の受容とも深く関わりを有することに気付かされた。今後は、今回得られた新たな視点からのさらなる追究を踏まえて、イメージとテキストの間を柔軟に行き来することで形成される黄表紙挿絵の表現について明確化し、その時代ごとの変化を浮き彫りにすることを最終目標として研究を継続していきたい。

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