1、始めにベルト・モリゾ(1841−1895)の代表作《ゆりかご》(1872年)〔図1〕は当時から現在に至るまで評価の高い母子像である。1930年代に国家によって優先的に守るリストに格付けされ(注1)、1995年には記念切手も発行されており(注2)、「印象主義のイコン(注3)」とまで言われた(注4)。《ゆりかご》の現在までに至る批評の大筋は「幸せで親密な情景(注5)」とまとめられることが多い。しかし、モデルとなっているモリゾの姉エドマは、笑みを浮かべず視線を斜めに落とし、頬杖をついており、当時の母子像としては珍しいポーズと表情で描かれている。例えばウィリアム・アドルフ・ブーグロー(1852−1905)の描くいかにも「幸せな」母親の姿〔図2〕とは、その表情が全く異なっている。2、「母子像」というジャンルの成立背景近代における「母子像」というジャンルの成立に至るまで、キリスト教の聖母子像の系譜〔図3、図4〕から始まる長い歴史が蓄積されている。19世紀後期フランスにおいて母性表現が重要になってきた背景には、社会現象や法律そして政策が大きく影響している。意識革命は既に18世紀後半に起き、母親の役割や重要性に対するイメージは根本から変化した(注8)。国家の富となる人口増加が重要視され、子供の生存率をあげることが、新たな至上命令となったからだ。人口統計学が発達した結果、乳母に預けた場合の乳児死亡率の高さが明らかになり、母親が自分の母乳で子育てをすることが奨励されるようになった(注9)。更に19世紀末第三共和制下のフランスにおいて、普仏戦争とパリ・コミューンにより人口が減少し、子供を生み出す「家庭」― 77 ―⑧ ベルト・モリゾの描く母子像研 究 者:お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 博士後期課程 科目等履修生 林 有 維モリゾの母子像に関する先行研究としてはマリニレヴァ・ケッセラーが、精神分析の手法を用いて分析を行っているが(注6)、当時の母子像の文脈の中での位置づけは行われていない。また、エマニュエル・ペルノーは《ゆりかご》について、「センチメンタルであるという不当な評価を得ており、実際はリアリズムを特徴とする作品である(注7)。」と述べ、再検討を行う必要性を指摘している。本報告では、当時描かれた母子像を網羅的に調査した結果をもとに、《ゆりかご》における母子像の捉え直しを試みる。
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