3、母子像の分類労働者階級の母子像― 78 ―に注目が集まり、「母と子の絵画」はもっとも人気のあるテーマの一つとなり、多くの画家によって描かれたのである(注10)。とりわけ女性芸術家にとって母子像を描くことが重要とみなされる状況に置かれていたことは、ユイスマンスの述べた文で確認することができる。「これだけは繰り返して言わなければならないが、女性は子供を描く資格がある。男性が表さない特有のセンチメンタリズムがあるのだ(注11)。」まず多く描かれたのが、自然の風景の中で描かれる力強い母親像であり、特に労働者階級の農婦が授乳する様子を描いた作品を確認することができる。当時サロンで活躍したヴィルジニー・ドゥモン=ブルトン夫人(1859−1935)は歴史画的な含みを持たせ、農婦を理想の母子像として多く描いている。『ラ・ファミーユ』誌表紙〔図5〕、《果樹園の母子》〔図6〕、《はじめの一歩》(1882年サロン出品作)(注12)などが確認される。ルノワールの《授乳する母親》〔図7〕では母親が戸外で授乳を行っており、自然と一体化した理想の母子が描かれている(注13)。生命を育む大地に結びつく農婦は、聖母や古来の女神に結び付けられ、生を司る一種の理想の母親像として普及していた(注14)。19世紀後半は母親が子供に直接授乳すべきという社会通念も浮上していたが(注15)、現実的には乳母を雇う余裕がなく直接授乳を行っていた農婦の姿が、一種の理想として描かれたと考えられる。象徴としての母子像当時活躍したアカデミスムの画家たちは、聖母子や神話等に典拠をおく作品、象徴的な母子像を描いている。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌの《若い母親》〔図8〕を、エイメ・B・プライスは慈愛の表象の一種と位置づけている。ピュヴィは「母性」の寓意としても母子像〔図9〕を描いている。ブーグローも神話や古代に依拠した母子像を多く描いた。《慈愛》(1875年)で描かれた女性像は《母国》〔図10〕に引き継がれており、頭上にフランスを象徴する3色の花輪を冠した女性が、多くの子供を引き連れ、威厳を持って正面を向く様子は礼拝像としての構図を示している(注16)。アルフレッド・ロルの《ストライキ者の妻》(注17)〔図11〕も図像が類似しており、描かれる階層を越えて母性・慈愛のアレゴリー像として普及した構図の一つと考えられる。こうした構図は「共和国」の図像とも共通する(注18)。
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