鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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4、微笑まず頬杖をつく女性像当時の母子像と比べ、《ゆりかご》のエドマのポーズと表情は例外的である。憂鬱そうなエドマの横顔と、頬杖をつくポーズは、デューラー《メレンコリアⅠ》(注22)〔図18〕以来描かれてきたメランコリーの表象を受け継いでいる可能性がないだろうか(注23)。チェザーレ・リーパによると、伝統的なメランコリーの図像とは「悲し― 79 ―ブルジョワジーの理想 ─授乳する母、見守る母─《ゆりかご》やメアリー・カサットの描く母子像〔図12〕はブルジョワの母子の情景である。エドワール=ベルナール・デバ=ポンサンによって描かれた《舞踏会の前に》〔図13〕(注19)では、乳母ではなく母親が直接授乳する光景を父親が見守っている。現実的には社交生活と授乳の両立は難しく、母親からの直接授乳が行われることは少なかった。ガルニエ夫人の《パリを離れて》〔図14〕は、戸外で授乳する母親を父親が見守る同様の構図が使われている。肖像画としての母子像は、アルフレッド・ステヴァンス《家族情景》〔図15〕が挙げられる。これまでの調査において、ゆりかごが描かれた作品は少ないことが確認できた。挿絵〔図16〕では、カーテンを開けて女性と子供がゆりかごを覗きこんでいるが、覗く行為は母親か親しい者に限られる状況があり(注20)、「ゆりかご」とはプライベートな空間の一種だったと推測される。託児所─現実と理想の情景の中の母子この時期、働く母や、捨て子の救済のために多くの託児所が作られていた。ジョフロワ・ジャン=ジュール=アンリの描いた《託児所にて》〔図17〕は、《ゆりかご》と図像的に一見類似しているように見えるが、実は全く別な情景が描かれており、19世紀後期における母子の理想と現実が垣間見える。《ゆりかご》ではブルジョワの女性が親密で快適な私室の中で、高価なゆりかごに寝かされた娘を見つめており、一種閉鎖的な空間を描いている。一方の《託児所にて》は、多くの乳幼児が寝台に寝かされており、後景の窓のレースは開け放たれ、よりパブリックな場であることが示唆されている。身なりから労働者階級と推測される女性が、笑顔を浮かべながら子供を直接抱き上げている点が《ゆりかご》と対照的である。預けられた子供たちは健康そうで養育状況は恵まれているかのように見えるが、実際には子供の死亡率が大変高く、共和国の人員が健康的に養成されているということを示すプロパガンダとして描かれた側面も考えられる(注21)。ここまで当時の母子像を検証した結果、寓意や象徴であれ、現実の描写であれ、いずれも理想化された母性か養育のイメージとして、母子が描かれていることが確認された。

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