鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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5、モリゾの描いた母子像─エドマをモデルにした作品を中心に― 80 ―げな態度、肘をつき頬を手に乗せていること、打ちひしがれたような身体」が表象されているという。メランコリーは芸術家気質と深く結びついており、ドラクロワはミケランジェロ〔図19〕やタッソーのような芸術家像をこのポーズで描いている(注24)。ナダールが撮影したクールベの写真《ギュスターヴ・クールベ 画家》〔図20〕は頬杖をついており、メランコリーと芸術性そして男性芸術家は19世紀後半において結実したイメージとなっていたと言えるだろう。女性像においてメランコリーが描かれた場合はどうであろうか。18世紀以降、女性にメランコリーのポーズをとらせている例が多く見られる(注25)。コンスタンス・シャルパンティエの《メランコリー》〔図21〕では、叙情を帯びた風景の中で、メランコリーを女性として描くことでロマンティシズムを加味している。カミーユ・コローもメランコリーを女性像として描き(注26)、読書や物思いにふける多くの女性像を考える人間の姿として描いている(注27)。《詩》〔図22〕では頬杖をつき目を閉じて作品を手に持つ女性が、詩の寓意像として描かれている。しかし、こうした女性像を通して描かれたメランコリーは男性像の場合と異なり、描かれた人物本人の芸術性や天才性と結びついているのではなく、観念の擬人像にすぎない。1870〜75年における油彩作品全41点中、女性と子供を中心に描いた作品数は《ゆりかご》を含めて9点で、その内エドマと娘がモデルを務めた作品は5点である(注28)。水彩では1870〜75年の23作品中(注29)、女性と子供をテーマとした作品が11点、その内エドマと娘がモデルを務めたのは7点(注30)である。パステルでは1874年に1点描かれている。1876年以降はエドマと娘をモデルにした作品が減少し、モリゾが70年代前半に集中的にエドマと娘の母子像を描いていたことがわかる。エドマは1869年の結婚を境に絵画制作を止めており、出産後も制作を続けたモリゾとは異なる選択をし、モリゾの模写など数点しか描かなかった(注31)。1869〜71年にかけて、モリゾは斜め下にうつむくポーズでエドマを数点描き出している。《窓辺に座る若い女性》〔図23〕では、外が大きく広がって見える開放的な窓とは対照的に、手元の扇をじっと見つめている姿が描かれている。《室内》〔図24〕では、微笑まず静かに座る横顔の女性が描かれている。母子をモデルとした作品では、母としてのエドマはどう描かれていただろうか。《ポンティヨン夫人とジャンヌ》〔図25〕では長女とエドマが、帝政様式のソファに腰掛けている。娘と母は視線を合わせず、母親の横顔の印象と髪型は《ゆりかご》と類似しており、一対の母子像を成している

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