鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ Higonnet, Anne, Berthe Morisot's images of women, Cambridge, Mass: Harvard University Press, 1992, ⑷ 拙論にて既に考察している。林有維「19世紀フランスにおける母子像の問題─ベルト・モリゾ《ゆりかご》(1872年)から─」『お茶の水女子大学 人文科学研究 第6巻』、2010年、pp. 55−66.6、結びにかえてメランコリックな女性像が「母子像」の中に組み込まれることは特異である。なぜなら「母子」という関係性において女性は、生命を司るシンボルもしくは良き教育者として、階級は関係なく母性のイデオロギーを自発的に担うことが求められたからである。《ゆりかご》に描かれたメランコリーの図像を想起させるポーズは、「平安の場所」であるべき家庭の表象に一種のアンバランスを生んでいる。この時期エドマが絵画制作の道を諦めたという状況を併せて考えると、モリゾは通常は男性像として描かれる芸術家としてのメランコリーの図像を借用し、母親としてのエドマ像の中に、芸術家としてのエドマ像をすべりこませた可能性が考えられないだろうか(注32)。メランコリックな女性像を母子像に転用したとしても、当時「女性芸術家」が「母子像」を描くことは推奨されており、「母子像」の範疇に収まっていればそのアンバランスを指摘する批評は少なかったと推測される。p. 122.⑵ 《L’ENA, Berthe Morisot et L’Institut》, Le Monde, 13, oct, 1995.⑶ Party, Sylvie, cat. exp., Berthe Morisot, Lille: Palais des Beaux-Arts; Martigny : Fondation Pierre Gianadda , 2002, p. 128.⑸ 「若い母親が─その身なりは実際、みっともないが─モスリンの青白い雲の柄を通して、薔薇色の子供が眠っている様子がほのかに見えるゆりかごに身を寄せる姿ほど、真実で愛情あ― 81 ―ようにも思われる。しかしそこに幸福な微笑みは見られない。これまで見てきたように、1869年から70年代前半にかけて描いたエドマ像は、メランコリックな表情で描かれることが多く、母子像においても母子の視線が交差することが少なく、当時普及していた母子像とは異なり一種の距離感があることがわかる。従来、男性性と結び付けられてきた芸術的気質としてのメランコリーと、母性は本来相容れない要素である。女性芸術家であったヴィジェ・ルブランが自分自身の「母性」を強調することで自己アピールした作品〔図26〕とは対照的に、自らの芸術家としての人生を抑圧・喪失することでしか、母性を体現しえなかったエドマの憂鬱は、近代における女性の興味深い現実を見事に物語っている。

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