3写本は余白詩篇と呼ばれる形式を持つ。本文は旧約聖書の『詩篇』であり、テキストコラムを綴じ側、上方に寄せることで、L字(見開き左頁)乃至逆L字型(見開き右頁)の余白を作り、そこに挿絵を施す。『詩篇』そのものは物語的要素の薄い歌の集積だが、新旧約の物語図像や歴史的事件、聖人像といった、一見本文とは関わりのない挿絵が多く描かれる。これらは、単語からの連想、新約聖書における引用、聖書物語の歴史的事件への重ね合わせ、聖人暦との関わりなど、様々な理由によって本文と結び付けられている。どの章句に施された挿絵であるかは、リンクマークなどと呼ばれる記号で示される場合もある。しかし本文の絵画化の原則は様々あり、何故特定の章句に特定の挿絵が結び付けられるのか、明らかでない部分も多い。余白詩篇は9作例が現存しており(注5)、なかでも『テオドロス詩篇』と『バルベリーニ詩篇』は非常に近い構成を持ち、画家は異なるものの同じ写字生の手になるものとして知られる。2写本の構成は、同じくストゥディオス修道院工房との関係が想定される9世紀の『クルドフ詩篇』の流れを汲んでいるが、互いに参照して制作されたのならば起こり得ない入り組んだ差異が観察されるため、安易に相互関係を指摘することが出来ないのが現状である。ともあれ、9世紀の時点で完成していた本文と挿絵との対応関― 87 ―⑨ 11世紀ストゥディオス修道院工房における余白詩篇写本─詩篇第107、108篇(注1)の 「ゲツセマネの祈り」と「使徒の交代」を中心に─■■■■■■■研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 辻 絵理子ビザンティン帝国の首都、コンスタンティノポリスのストゥディオス修道院は、像論争において画像擁護派の牙城となったほか、写字生と画家を抱える写本工房を聖有していたことで知られる。まとまった写本と一人の写字生の名前が残る、ビザンティンにおいては稀有な例であるが、その実態は未だ明らかでない。本研究では、同修道院の1066年の基準作例として知られる『テオドロス詩篇』(注2)(British Library, Add.19352)と、同じ写字生が写したとされる『バルベリーニ詩篇』(注3)(Cod. Vat. Barb. gr. 372)の内容構成を比較検討し、更に両者のモデルとされる『クルドフ詩篇』(注4)(Moscow, State Historical Museum 129d)との比較を行い、各写本の特性や関係を浮彫りにすることで、同修道院工房の制作の実態に迫ることを試みた。紙幅の都合上、本稿ではケース・スタディとして詩篇第107、108篇を例に、対応する章句の選択とレイアウト、挿絵等の分析から明らかになった各写本の特徴を述べる。この2篇に対して行われた操作が、各写本の特質を端的に示しているためである。
元のページ ../index.html#98