3写本の詩篇第107、108篇に施された挿絵(注6)を検討する〔表1〕。『クルドフ詩篇』を基準に、11世紀の2写本がどのような改変を加えたか確認し、そこから浮かび上がる特徴を論じたい。『クルドフ詩篇』の見開き〔図1〕、f.112vの左端は欠損しているが、わずかに本文と挿絵の関係を示すリンクマークの青色が残っているため、107:6「高くいませ、神よ、天の上に」に挿絵が施されていたことが判る。挿絵に対応する本文及び後に確認する2写本から、切り取られた図像は「昇天」であると思われる。モティーフがぎっしり詰め込まれたf.113の挿絵は、上から「ゲツセマネの祈り」、「ユダと悪魔」、「首を吊るユダとマティア」である。「ゲツセマネの祈り」(注7)には4つの記号が施され、108:1「私の讃美する神よ、沈黙しないで下さい」、108:2(後半)「罪深い者の口、狡猾な者の口が私に向かって開き」、108:4「私を愛する代わりに、彼らは私を不正に告発する。しかし私は祈り続けよう」、108:5「彼らは善意に悪意で報いて、私の愛を憎む」の全てのテキストがこの図像と結び付くことが示されている。その下に、悪魔と共に佇むユダ(注8)が描かれているが、各々にリンクマークがつけられており、108:6「悪魔を彼の右に立たせよ」に悪魔が、108:8(前半)「彼の日々はわずかになれ」にユダが対応している。首を吊るユダ(注9)の横に立つマティア(注10)は108:8(後半)「彼の職務は他人が取れ」に施された挿絵だが、使徒言行録で語られる、十二使徒のユダの欠員を補充する場面において、まさに同じ章句が引用される(使1:20)ことから、この図像が描かれたと解る。首を吊るユダには、悪魔と並んだユダと同じ記号が付けられているため、同頁に2回描かれたユダは共に108:8(前半)と結び付けられていることになる。この章句は死刑の判決を暗示する(注11)。ユダに囁く悪魔について福音書本文で言及されることはないが、キリストはゲツセマネで祈りを捧げた後に、ユダの手引きによって捕縛され、磔になる。キリストを売った自責の念から自ら命を絶ったユダの代わりに、新しくマティアが十二― 88 ―係が、11世紀に至って複雑さを増した変化を辿ることで、各々の写本の特性を抽出することは可能であろう。これから見るテキストとその挿絵においても、3写本の比較が肝要となる。一見ただモデルを写したかのような箇所であるが、本文との対応やレイアウトに工夫が見られ、挿絵形式が成立してから200年の間に起こった変化が窺える。作例も物証も乏しい上に、手本重視の伝統が根強いビザンティンの写本研究においては、些少な相違も見逃さず着実に検討し尽くすことでしか、写本の特性や相互関係を論じ得ない。
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