鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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1.2011年度助成研 究 者:名古屋大学大学院 文学研究科 准教授  伊 藤 大 輔第一章 説話の構造「信貴山縁起絵巻」の特色は、端的に言って「伴大納言絵巻」における火災や喧嘩のような人間社会の否定的な側面を取り上げないことにあると言える。山崎の長者や醍醐帝はそれぞれに権力者でありながら、清貧の一僧侶である命蓮の主張─倉を返さなかったり、山を下りなかったりという主張─を受け入れ、一方で命蓮は自らの主張を貫きつつも長者や帝の希望─財物の返却や病の治癒─をかなえてやるという相互承認と他者肯定が絵巻の中では軸を成している。彼等はお互いの立場を認め合う関係を築いていて、そこに人間同士の心地よい調和の感覚が生まれている。同様の調和の感覚は尼公と命蓮の間にもあることは言うまでもなく、それは最終的に二人が信貴山で出会いともに暮らすことによって完成される。そこでは家族の恩愛は否定されることはなく、仏教的な厭世観や苦界の意識は見られない。むしろ健全な現世主義というべきものが絵巻全体を貫いているように思われる。その健全な現世主義は、祈願と利益の互酬的関係を基軸として語られている。例えば、飛倉巻では、財産を軸とした互酬が主題となっていると解される。財物の入った倉を奪われた山崎の長者は、信貴山に出向いて返却を願い出ることで、実際に実質的財産である俵がすべて戻ってくる。飛倉巻の説話は、信貴山に参詣して祈願すれば利益として財物が与えられるという財産を軸とした互酬的関係を象徴的に説話化しており、物質的充足を願う人間の素朴な信仰心に応える内容となっていよう。これに続く延喜加持巻では、健康の付与が主題となっている。ここでも、病になった帝は直接信貴山に行かないものの、使者を派遣して病の平癒を祈願することで、実際に健康を取り戻す。一旦失ったものを取り戻すという話型は飛倉巻と同一であり、ここでも信貴山に出向いて祈願すれば利益として健康が与えられるという健康を軸とした互酬的関係が象徴的に語られている。実際に病魔を払う剣の護法が童子であるという細部が、健康という主題と密接に関連している。子供こそ生き生きとした生命力― 1 ―① 東アジア的観点から見た「信貴山縁起絵巻」の研究Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告

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