研 究 者:慶應義塾大学 非常勤講師 望 月 典 子1.本調査研究の目的だが、プッサンは彩色を決して軽視していたわけではない。プッサンの彩色は、「色彩派」の「絵画的」様式の彩色とは性格を異にするものの、画家が提唱した「モードの理論」や戸外の舞台設定に不可欠な空気遠近法と関連する重要な絵画制作上の要素と考えていたのである。この点について具体的な作品に即し、当時の絵画理論とアカデミー講演会での議論および画家の伝記を基に調査分析した結果を報告する。紙幅の関係上、報告は、画家が1648年にJ. ポワンテル(?〜1660)のために描いた《エリエゼルとリベカ》(ルーヴル美術館〔図1〕)を中心に行うが、それは、この作品に関するアカデミー講演会の記録とA. フェリビアンによる詳細な記述(色彩を含む)が残されていること、かつ、この作品は画家が「モードの理論」を表明し、また風景画制作に一層取り組み始める重要な節目に制作されたためである。本報告は、「素描派」プッサンの作品における彩色の問題を取り上げ、さらに画家の「モードの理論」と合わせて考察することで、ルネサンス以来、近代に至るまで議論され続ける「素描」と「色彩」の二項対立の問題に新たな切口を提供しようとするものである。2.プッサン作《エリエゼルとリベカ》(1648年)の先行研究と問題の所在《エリエゼルとリベカ》〔図1〕が描かれた1640年代は画家の円熟期にあたる。フランス人顧客が増え、ローマで制作した作品を母国に送るという形態が定着した。注文主ポワンテルはパリに居を構えるブルジョワジーの美術愛好家で、絹卸売業者であった。彼は1645年4月から47年6月までローマに滞在している(注2)。その間、プッ17世紀後半のフランス王立絵画彫刻アカデミー(以下アカデミー)では、「素描(dessin)」と「色彩(couleur)/彩色(coloris)」のどちらが重要かを争点とした議論が戦わされた。ニコラ・プッサン(1594〜1665)は、この所謂「色彩論争」において「素描派」陣営の理想として掲げられた画家である。彼の作品は、ラファエッロと古代美術を規範とし、物語の構想、人物群の配置や感情表現、そしてデコールムに優れた特徴があるとされ、画家にとって彩色は二義的なものとして位置付けられる傾向にあった(注1)。■■■■■■― 102 ―■■■■⑩ニコラ・プッサンにおける素描と彩色の問題─色彩論争と「モードの理論」を手掛かりに─
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