鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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は忍耐を意味する)は定められた運命に出会う、それをこの石柱と球体が表しているとする(注14)。「運命」と「美徳」の対比はペトラルカ以来の伝統であり、版を重ねたアルチャーティの『エンブレム集』には、球体の上に「運命」の擬人像を、立方体(四角い柱)の上にメルクリウスを配した図像がある〔図4〕(注15)。モットーは「学芸(ars)が自然(natura)を助ける」であり、学芸(仏訳では自由学芸)が、フォルトゥーナ(球体)の偶然に左右されない結果をもたらすという意味のエピグラムが付されている。17世紀には寓意像を伴わない球体と立方体の組合せも現れ〔図5〕、不安定な球体を不動の立方体(柱)の上に静止させることから、賢明、恒心、忍耐、魂の休息や平安といった美徳や状態とも結び付いた(注16)。特に移り気な運命の気まぐれや脅威に立ち向かう恒心は、17世紀新ストア主義の道徳的特質であり、プッサンが本作品制作と同年に書いた書簡の中でストア的恒心を表明していることからも、エンブレムとの結びつきは決して突飛な解釈ではない(注17)。さらにここでは物語の寓意解釈だけでなく、アルチャーティのモットーと幾何学立体とを考え合わせるならば、移りゆく自然を、確固たる理論(学芸)に基づいて描くこと、すなわち、プッサンの美術理論への関心が容易に連想されるのである。《エリエゼルとリベカ》に描かれた球体と石柱という幾何学立体は、クロッパーらも示唆するように、同時期に年代づけられるプッサンの素描を想起させる〔図6〕(注18)。球体や円錐などの立体と、光と影の研究器具が置かれたアトリエの様子、および影の遠近法を研究する画家たちが描かれていて、プッサンの理論に対する関心が窺える。この素描はドメニキーノの遠近法教師、テアティノ会修道士で画家のM. ザッコリーニの手稿と関係することが指摘されてきた。ザッコリーニの手稿は「色彩について」「色彩遠近法」「線的遠近法」「立体によって生み出される影の記述について」の4分冊からなり、「影の記述について」の巻には幾何学立体を用いた投影描写の方法が図示されている〔図7〕(注19)。プッサンはローマの庇護者カッシアーノ・ダル・ポッツォの勧めで、バルベリーニ図書館にあったザッコリーニの手稿の多くの部分を1630年代終りに義弟J. デュゲに複写させていた(注20)。プッサンは歴史や文学、ラテン語の素養があると同時に、解剖学、遠近法、光学理論に通じ、レオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』出版用挿図のための素描を描いた(出版は1651年、注21)。プッサンが学んだとされる理論家は、デューラ、アルベルティ、アルハゼン、ウィテロ、そしてザッコリーニである。フェリビアンは、ザッコリーニほど遠近法の規則を知り、光と影について精通している画家はいないと断言し、― 105 ―

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