えの緑が緑の糸で織られた実際の緑と結び付くからだ。だが、弱い光の下では、黄色を反射するだけの十分な光がないため全体が緑に見え、明るい部分も明るい緑となる。中庸な光の下では、ハイライトは緑に近い黄色に、影は暗い緑に見える。こうした原則を色彩遠近法と結び付けて説明するのである。プッサンの作品を見ると、前景のエリエゼルの脚衣とリベカのスカートのカンジャンテは、緑とレーキ、レーキと黄色の対比が強いが、中景右の壷に凭れた女性には薄い黄と灰色、同じく中景左にいる頭に壷を載せた女性と振り返って横顔を見せる女性の服には白と薄い黄および薄いレーキと薄青のカンジャンテを用いている。つまり、距離による描き分けがなされているのである。また、画家は、他の作品に比してこの作品では明らかにカンジャンテを多用している。恐らく「絹」商人であったポワンテルを意識してのことだろう。また、同作品では、壷の質感の精細な描き分けがなされ、水に濡れた地面には壷の姿が映っている。柔らかいもの、つやのあるもの、水への反射や屈折については、レオナルドやザッコリーニが関心を払ったテーマである(注30)。プッサンは、ザッコリーニの規則に厳密に従うわけではないが、光と影および色彩を、物体の明確さと同時に空間関係の錯視を作り出すために用いるという考えを彼と共有していたと言えよう。5.「色彩論争」における光と影および色彩アカデミー第一世代においては、絵画を自由学芸に引き上げることが重要な使命であったため、絵画の精神性を強調し、必然的に素描に重きを置くこととなった。素描は、文学的教養に裏うちされた構想と、科学的原則である線的遠近法を含み、画家の技芸が知的であることの保証となるからである。それに対して、色彩は物質的なもの、容易に感覚を楽しませ無知な人々を喜ばせるもの、という根強い忌避感があった。それが第二世代 (1670年代) になると、色彩に対する関心が高まり、色彩こそ絵画に独自なものであるという考えが生じてきた。色彩派の実質的な指導者であるロジェ・ド・ピールは、「色彩(coleur)」と「彩色法(coloris)」とを明確に分けて捉えている(注32)。「色彩」の劣等視は、色が絵の具や着色という物質的要素と結び付くが故に1671年の講演会に始まる「色彩論争」は、素描と色彩の関係を「魂」対「身体」、「現実の再現」対「偶発的なもの」と捉えて前者を重視する「素描派」と、色彩がなければ絵画の目的である自然模倣を達成できず、また色彩は万人を魅了するとして、精神よりも感覚の悦びを尊ぶ「色彩派」に分かれて論争を繰り広げた(注31)。― 108 ―
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