鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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生じたが、彼は「彩色法」を色に知悉した上での立体感の表現術とし、明暗と色調のグラデーションを用いた色価による形象化の術、光と影に関わる学であるとみなした。ド・ピールによれば、この「彩色法」こそが、絵画にとって重要な部分であり、その原理に明暗法(clair-obscur)を置くのである。ド・ピールは、光と影の扱いについても二つに分けている(注33)。ひとつは「個別的な明暗の投射(incidence des lumières & des ombres particulières)」すなわち、光と影の科学的原理であり、他方は「明暗法(clair-obscur)」である。光と影の科学的原理とは、遠近法理論の中で展開したもので、まさにザッコリーニの光と影の理論であり、フランスではJ. デュブルイユやA. ボスなどが展開した理論に含まれる(注34)。ザッコリーニは、自然模倣の本質的側面として色彩遠近法を捉え、光と影もその重要な要素とみなし、前景の人物は、鮮やかな色相を用いてかつ明暗対比を最大限とし、後退するにつれて体系的に彩度と明暗を減少させていく方法を説明した。ただし、背景が仕上っていないような、極端なやり方には賛成しない。こうした科学的原理は、努力をすれば誰でもある程度習得可能である。それに対して、「明暗法(clair-obscur)」─これは彩色法の原理である─は、ド・ピールによれば、完全に画家の創意によるものであって、並外れた天才以外にはなし得ない。彼は、明暗法に光と影だけではなく、明るい色相と暗い色相の配分も含めた。それは、物体の自然主義的な光と影を直接に表すこともあるが、必ずしも結び付かない場合も多い。基本は自然模倣とは言え、この明暗法=彩色法に画家の独創性と才能が発揮されるのである。ここに至って、「素描派」と「色彩派」の区別は、輪郭線による形象化(固有色によって補完される)と色価(グリザイユあるいは多色)による形象化の区別へと移って行く(注35)。「色彩論争」は、結果的に「色彩派」の勝利で終結するが、それは美術家の地位向上が一定以上実現されたことを背景に、絵画の精神的価値を絶対視する態度が相対化され、「目に悦び」を与える「彩色」に注目することで、絵画独自の視覚的な価値が浮上したことを意味している。実際に作品を見ると、「色彩派」ド・ピールが理想に掲げたルーベンスの方が画面が暗く、プッサンの作品は全体に明るい画面で、赤、黄、青といった個々の色が目立つ〔図1〕。ルーベンスの絵では、輪郭や奥行きをそれとなく暗示するために様々な色がお互いに混ざり合い、マッスとしての光と影が浸食し合うのに対して、プッサンの作品では、固有色によって対象物の境界が保たれるのである。だが、「素描派」であるプッサンの、まさに「素描」作品を見ると、そこには、単純な二項対立とは異な■■■■■■■■■■― 109 ―

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