らに18世紀のアントワーヌ・コワペルは絵画の性格は「一目見て」決定されなければならないと主張し、「モード」を第一印象としての絵の性格として捉え、とりわけ色彩の力を強調した。これは「色彩論争」での色彩派の勝利を背景とした考え方である(注38)。では、プッサンにとって「モード」とは何であったのか。書簡の中でプッサンは、「モードという言葉はまさに、我々が何かをする際に用いる条理〔raison〕ないしは尺度〔mesure〕・形式〔forme〕を意味し...」と語っている。ノは、この文言と、G. P. ベッローリが残したプッサンの『絵画についての覚書』の中の「美のイデアについて」の記述との結び付きから、諸部分の隔たり、量、そして色彩および光と影の変化の構造、それらの働きを「モード」と関連づけた(注39)。「モード」については、様々なレベルでの解釈があり得るだろうが、アカデミーでの定式化(少なくともル・ブランとフェリビアンは直接プッサンと知合いであり、両者とも1640年代にローマに滞在した)と、先行研究での議論を踏まえると、「光と影および色彩」がその要素の一つであったとみなすことはできるだろう。ここで、上記の分析を基に報告者が提出したい仮説は、プッサンの場合、素描からタブローへと移行する時の、明暗法(clair-obscur)と彩色法(coloris)の摺り合わせで生じる差異、それが「モード」と関わるのではないかと言うことである。明暗法と彩色法が(プッサンにおいて相対的に)一致の程度が高ければ〔図13、14〕、一瞥した時の効果が大きく、全体の調和が早くに訪れ、観者に対してより強い感情を喚起する。明暗法と彩色法が乖離し、摺り合わせがなされるならば、一瞥した時の効果に心理的距離感が生まれ〔図12、1〕、観者に、より継時的に思索と発見を促す。《エリエゼルとリベカ》では、準備素描で追求した明暗の滲出による全体の効果を、ザッコリーニらから学んだ光学と色彩遠近法理論を柔軟に用いつつ、タブロー制作での彩色(固有色による形象化)と摺り合わせ、構築的で明晰な絵画空間を作り出している。19世紀の「色彩派」と言えるドラクロワは、プッサンの作品を見て、統一感とぼかしの効果がないことに戸惑ったが(注40)、プッサンの作品を一瞥する時の、固有色を主体とする一見ばらばらな感覚、そうしたある種の違和感が、一瞥した時の目の悦びで終らせることなく、継時的に「絵を読む」ように観者を促すのではないだろうか。色彩は大きな効力を持つゆえにこそ、プッサンの作品では、逆にその彩色法が、「モード」の描き分けとの関わりの中で、一瞥の美的効果と継時的な主題の理解とを調停する役割を果たすのであろう。本作品では、固有色主体の彩色法による明晰で構築的― 111 ―■■■■
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