な空間、古代美術に依拠した人物群、光と陰影および質感を巧みに描いた石柱と球体や壷などのモティーフ、カンジャンテによる軽やかなドラペリ、流れる水とその反射、空気遠近法を用いたはるかに広がる風景が描き出されている。そこには「色彩派」の言うような統一感は少なく、一瞥した時の美的効果に身を委ねることは難しい。むしろ、そこで覚える視覚的なひっかかりが、一歩引いて、絵を丹念に見ていくように誘い、そして、古代美術を彷彿させる(あるいは精妙に描かれた壷というシニフィアンによって表される)女性美と美の理想、神学レベルでの物語解釈、メタ絵画的な理論と実践の関係、を観者に読み取らせていくのであろう。7.結語プッサンは《エリエゼルとリベカ》を制作した翌年に、同じくポワンテルに向け《自画像》(1649年、ベルリン国立美術館〔図15〕)を描いた。作中で画家が手にする書物の背には「DE LVMINE ET COLORE(光と色彩について)」と書かれていたことが知られる。この記銘は後補だが、1660年頃に制作された複製版画にも同銘文があることから、画家が存命中に(あるいは画家の許可の上で)補筆された可能性が高い(注41)。義弟デュゲの手紙(1666年1月付、プッサン没直後)によると、プッサンは『光と影、色彩と比例』という理論書を書いたはずだという風評が、パリの美術愛好家たちの間で広まっていた。その著作とは、実際には、ザッコリーニの手稿の写しのことであったらしい。プッサンの理論書を見たいという愛好家たちの願望が、1649年の《自画像》〔図15〕に記銘を施させることになった。あるいは、ザッコリーニの手稿を手に光学理論の説明をする画家の姿をそこに重ねていたのかもしれない。いずれにせよ、絵画の精神性を重視する「素描派」の代表的存在である一方で、「光と影および色彩」に関心を持つ理論家プッサンという画家のイメージは、愛好家の間で広まっており、《自画像》に銘文が施された事実が端的に示しているように、それは画家の内実とも一致していたと言えよう。プッサンにとって、「素描」と「色彩」は対立するものではない。絵画は「読む」ものであり、知的な営みであるという考えと、移りゆく自然を確固たる学芸に基づいて把握すべきであるという信念を持ちつつ、光学理論から彩色を注意深く研究し、「素描」と「彩色」とを「モード」を介して調停させていったのである(注42)。― 112 ―
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