た山里が広がっている。高さ、遠さ、速さ、軽やかさといった時空間表現が同時的かつ実感的に達成されていて、絵画の表現力が最大限に引き出されていることを感じずにはいられない。その核にある雲気表現はまさに飛行機雲を想起させずにはいないが、泉武夫氏も述べるように「飛行機雲を見ることのなかった当時、どうやってこの雲の跡を想像できたのか」戸惑わずにはいられないのも事実である(注1)。泉氏はこの剣の護法の特異な雲気表現に対して、来迎図に見られる諸尊の乗雲や、仏画の影向場面における神仏の乗雲との関係を考察されている(注2)。これらの乗雲は、柔らかく波打つ尾を持つ点で共通しており、「信貴山縁起絵巻」でも剣の護法が清涼殿に到着する場面では同様の表現をとっている。しかし、氏が述べられるとおり、定規を用いて長い直線を引き、遠近の距離感と高速のスピードを描く雲の表現は仏画の伝統の中にはなく、「あとにも先にも唯一の例」であるように思われる(注3)。仏教絵画のように雲があくまで付随的な役割を果たすに止まっているのとは異なり、ここでは雲それ自体が一つの表現対象として独立している点に、独自の特色があると考えられる。説話内容を図説する必然性以上に雲の効果が追求されているように思われるのである。泉氏が検討されたように、信貴山からの移動を表すにしても仏教絵画の中にもっと穏当な先例を見出すことも可能だったはずであるように思われるのである。こうした雲気表現を主題的に扱うこと自体が東アジアでは稀なことであろう。しかし、雲自体は水墨山水画とも親しい主題であったし、山水画の世界を遡れば、雲気文のように、雲気そのものが主題的に扱われる場合がないではない。例えば、馬王堆一号墓の黒地彩絵棺の側面に描かれた「雲気神獣図」(前二世紀)〔図2〕では(注4)、神獣の乗る白雲は、粘る筆致で直線的に長く尾を引く形で描かれる。雲気は滞留することなく、素早い動きで神獣達を天空に駆け巡らせている。このように直線的に長く尾を引く雲の形態感やスピード感は、要素的に見れば、「信貴山縁起絵巻」の剣の護法の疾駆の場面に発展してゆく可能性を宿していると言えよう。前二世紀の馬王堆の漆絵と十二世紀の日本の絵巻とでは時間的にも空間的にも距離が開きすぎていることは認めざるを得ない(注5)。しかし、雲気表現を主題的に取り上げること自体が仏教絵画では珍しく、直線的で単純化した形態感とも相俟って、むしろ雲気文を積極的に描いてきた中国固有の神仙的世界観とのつながりの深さを感じさせる。今直接の類例を挙げることはできないが、「清涼殿画壁山水歌」にみられ― 4 ―
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