鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:成城大学大学院 文学研究科 博士課程後期 単位取得退学はじめに「フランチェスコ1世のストゥディオーロ」〔図1〕は、フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオ内の「五百人広間」に隣接する小部屋(幅3m×奥行き7m)で、1570年から72年にかけて、メディチ家の宮廷画家ジョルジョ・ヴァザーリ(1511−74)とその工房、そして幾人かの彫刻家によって装飾された(注1)。本研究は、「ストゥディオーロ」の装飾企画に参加したストラダーノがどのようにイタリア化し、そして彼の参加がヴァザーリおよび彼の工房の画家たちにどのような影響を与えたのかを、再検討しようとするものである。Ⅰ.「フランチェスコ1世のストゥディオーロ」「ストゥディオーロ」の装飾は、父コジモ1世(在位1537−74)に代わって公国の政治を取り仕切るようになっていたフランチェスコ1世によって1569年に注文され、1570年から制作が始められた。ヴァザーリの指揮のもとに行われた装飾は、36点の絵画(うち2枚は肖像画)、8体の小彫刻、そして10点の天井画から成り、制作には23人の画家と8人の彫刻家が参加した。絵画の主題は、オウィディウスの著作『転身物語』と、当時のフィレンツェに実在した様々な工房風景や採掘現場を描いたもので、物語と現実の場面が同一空間に置かれている点に特徴がある(注3)。一連の絵画作品の1つ1つは小さいものの、全体として「人間の身体で埋められた空間」(W・フ1960年代以降のマニエリスム美術に対する関心の高まりを受けて、「ストゥディオーロ」についての研究も数多くなされてきた。それらの研究は、注文者であるフランチェスコ1世(在位1574−87)の趣味(とりわけ錬金術)に焦点を当て、部屋の構成や図像解釈、そして個々の絵画作品の秘密めいた主題を考察する、あるいは図像プログラムを担当した人文主義者ヴィンチェンツォ・ボルギーニとヴァザーリの書簡から作品を解釈する、といったものが主流だったといえる。しかし「ストディオーロ」にはこうした点以外にも、注目すべき美術史上の問題がある。ブリュージュ出身のジョヴァンニ・ストラダーノ(1523−1605)の参加が「ストゥディオーロ」の装飾にどのような意味をもったのか、という点もその一つだといえよう(注2)。― 133 ―嶋 本 亜未子⑫「フランチェスコ1世のストディオーロ」におけるフランドル絵画の影響について─ジョヴァンニ・ストラダーノを中心に─

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