物の動きや衣服の優雅な処理は、ミケランジェロやフィレンツェの美術アカデミーの画家たち、つまり共同制作したヴァザーリ工房の画家たちから学んだものだと思われる。フランドル絵画との関連という観点から見ると、ストラダーノが1565年に描いた「五百人広間」の《シエナ戦争後の凱旋》〔図7〕で、画面の右下にヴァザーリ、ボルギーニらこの大事業に関わった人物たちの肖像を描いており、この部分がフランドルの集団肖像画を連想させる点は注目すべきことであろう。ヴァザーリによる《シエナ戦争後の凱旋のための素描》〔図8〕にも同様の群像が描かれているが、比べてみると、ストラダーノが右下の人物の順番と位置を変更したことがわかる(注8)。また、右下の人物たちは、凱旋に集まった群衆とは異なり、我々に視線を向けている。この群像肖像画部分の変更は、ストラダーノが人物表現でもフランドル風の描写を試み、あるいは模索していたことを示すように思われる。このようにイタリア、特にフィレンツェの絵画様式を身につけていったストラダーノは、1570年に「ストゥディオーロ」のために《錬金術工房》〔図9〕と《オデッセウス、メルクリウスとキルケ》〔図10〕の2点を制作した(注9)。2作品に関するこれまでの研究のほとんどは、描かれたモチーフの図像解釈を中心としたものであった。しかし、L・ベルティはその様式にも着目し、《錬金術工房》の表現を「北方のあからさまな写実主義」と述べている(注10)。実際この作品では、ストラダーノの写実表現のテクニックが遺憾なく発揮され、錬金術師の厳しい眼差しや作業する人々の疲れた表情から、工房内の忙しさが伝わってくる。ストラダーノは《錬金術工房》において、イタリア絵画の人物表現とフランドル絵画の写実描写の融合を果たすことができたといえるだろう。さらに完成作と準備素描〔図11〕を比較すると、右下の人物に変更があるのに気づく。完成作では、画面右下に注文主であるフランチェスコ1世自身が熱心な徒弟の姿で描かれているが、下絵の素描にはなく、ストラダーノが注文主に配慮したことが窺える。また、大がかりな実験装置や小道具はパラッツォ・ヴェッキオ内に設けられたフランチェスコ1世の錬金術工房にあったものだとされ、画面全体に注文主とその工房の新しい技術への驚きや熱気があふれている。一方、《オデュセウス、メルクリウスとキルケ》は『転身物語』の一場面だが、準備素描〔図12〕と比べると、完成作では動物の数が減らされ、画面の空間を広くして主題がより明確になるよう工夫されたことが分かる。完成作を見ると、オデュセウスのマントが大きく膨らんでいるのが目につくが、同様の表現はブロンズィーノやポントルモの作品によく見られる。また、前景の洞窟から後景の天蓋付きベッドまで一気― 135 ―
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