に進む遠近法や不自然なカーテン、そしてキルケや侍女たちのポーズは、ブロンズィーノらの作品から取り入れた表現だと考えられる(注11)。以上、ストラダーノがフィレンツェの画家たちから受けた影響を見てきたが、影響関係はもうひとつの方向、つまりストラダーノを通じて「ストゥディオーロ」の画家たちが受けた北方、フランドル風の絵画様式の影響も指摘できる。次にこの点を考察しようと思う。Ⅲ.「ストゥディオーロ」の画家たちへのフランドルの影響「ストゥディオーロ」を飾る絵画作品の様式は、総監督であるヴァザーリの趣味を反映して、典型的なマニエリスム様式だといえる。しかし、個々の作品を観察するとフランドルの影響をうかがわせる人物表現や背景表現がみとめられる。まず、実際の工房や採掘現場を描いた作品の人物表現にフランドル絵画の影響をみることができる。例えばヤコポ・ズッキの《金鉱の採掘》〔図13〕とヴァザーリの《ペルセウスとアンドロメダ》〔図14〕と比較すると、ヴァザーリが人物の優雅なポーズによって幻想的な神話の世界を表現しているのに対して、ズッキは生命感と重量感にあふれた採掘作業する男たちを描いている。ヴァザーリが総監督をつとめたパラッツオ・ヴェッキオのそれまでの装飾では、1つの部屋に描かれた人物表現はほぼ統一されていたといっていい。しかし「ストゥディオーロ」では、先に引いた比較例からも分かるように、主題によって人物表現を工夫し、画面に変化を生み出そうと意図されているのである。そうした発想の転換にストラダーノの存在が重要な意味をもったことは充分考えられる。ヴァザーリ工房との共同制作以外にも、ストラダーノは版画のための下絵を数多く制作した。狩猟の場面を描いた1578年の一連の作品《はちみつ採集》〔図15〕などは、ブリューゲルを筆頭とする庶民の生活を描いたフランドル絵画を連想させる。また、興味深いことに、1580年頃制作の《鷹狩り》〔図16〕の馬に乗った人物を見ると、そのうちの幾人かがズッキの《金鉱の採掘》の人物がかぶる羽付き帽子とよく似た被り物をつけているのが分かる。ズッキら「ストゥディオーロ」の画家たちとストラダーノとの交流を示す事実だといえよう。実際、ズッキもストラダーノの人物表現から影響を受けたと考えられる。ズッキは採掘師たちを素朴で生命感あふれる、フランドル風といっていい、理想化されていない人物表現で描いているからだ。また、ヤコポ・コッピの《火薬製造》〔図17〕などでも、さまざまなポーズで描かれた人物たちによって作業の一瞬が捉えられ、工房の音が聞こえてくるような印象を受ける。こうした― 136 ―
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