工房の様子は、当時の製造現場そのものだと考えていいだろう(注12)。採掘現場や工房を描いた作品には、ヴァザーリ工房の画家たちがそれまで表現してこなかった写実性と庶民の日常や労働する姿に対する親しみが感じられる。ズッキとコッピは「ストゥディオーロ」のために『転身物語』を主題とする作品をそれぞれ1点ずつ制作しているが、神話の人物たちは優美で理想化されたプロポーションで、大げさな身振りや非現実的な動きをもって描かれているのである。一方、背景表現においても、例えばズッキの《金鉱の採掘》とマーゾ・ダ・サン・フリアーノの《ダイアモンド鉱山》〔図18〕の背景に描かれた山の表現を見ると、ブリューゲルの《バベルの塔》などを想起させるフランドル的特徴が顕著である。《ダイアモンド鉱山》についてL・ベルティは、パルミジャニーノとポントルモの融合だ、と指摘しているが、おそらくそれは中央の老人などの人物描写について述べたものであろう(注13)。しかし、ズッキとサン・フリアーノが描いた山は一層二層と積み重ねられ、そこには足場やその足場を上る作業員、さらには画面からはみ出したように見え隠れする頂上が描かれている。こうした表現、あるいは画面上での雲の使い方とその効果などに、フランドルの風俗画から強い影響が見て取れるのである。終わりに以上の考察からわかるように、「ストゥディオーロ」の作品群は、フランドル絵画の影響を示している。そうした影響は、ブリュージュ出身のストラダーノを抜きにしては理解しえない。ストラダーノはフランドルの絵画表現を身に付けていただけでなく、イタリア絵画にも精通していた。1563年10月に、彼はフィレンツェのアッカデーミア・デル・ディゼーニョの理事に選出されているが(注14)、1563年というのは「五百人広間」の装飾が開始された時期である。ヴァザーリを初めとするフィレンツェの芸術家のストラダーノに対する評価が、非常に高かったことが分かる。こうした評価は、ストラダーノがヴァザーリと共に「ストゥディオーロ」の装飾に当たることによって、フランドル絵画とフィレンツェ絵画の融合を果たした結果だったと考えていいだろう。一方、ストラダーノの存在がヴァザーリ工房の絵画表現に新たな広がりを与え、「ストディオーロ」の作品群に写実的でありながら、官能的で秘儀的な、アンバランスといっていい独特の雰囲気を与えることに貢献したという点も見過ごすことはできない。このことは、「ストゥディオーロ」の人物表現には2つのタイプが認められる点に、よく表われている。つまり神話主題の人物は、より優美に幻想的にみせるために理想化された、いわゆるマニエリスム風の人体表現が用いられている。そ― 137 ―
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