鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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るように、日本でも唐画の神仙山水が学ばれる過程で、この場面の原型となる神仙的な雲気表現が伝えられていたのではないだろうか。元代の王振鵬の伝称を持つ「唐僧取経図冊」は、仏教説話を基軸にしながらも、画面に神仙的要素を多様に取り込んでいる点で、「信貴山縁起絵巻」を考察する際に参考となる。そこでは神仙的異界表現のために多彩な雲気表現が行われ、雲気表現が主題的にとりあげられつつ、その諸類型が提示されている。鬼神や龍が乗るタイプの雲には明確に直線的な尾を引くものは残念ながら見られないが、長さやスピード感の点で類似する雲気表現がある点は注目される。例えば、下冊第二図の「金葫蘆寺過火炎山」〔図3〕の上部で神将形が乗る雲は、一端渦巻いているものの、長距離を連続的に進んできた軌跡を示す点や、勢いのある流れなどの点で、「信貴山縁起絵巻」の剣の護法の乗雲の表現と近似する質感を持っている。また上冊第八図の「八風山収猪八戒」〔図4〕で鬼神が乗る雲の尾も、直線ではないが、比較的緩い弧であり、遠さの表現には欠けるものの、屋内から勢いよく飛び出したスピード感が長い雲の尾によって表されている。「唐僧取経図冊」の、確立された造形語彙を手堅くまとめる表現傾向から言って、ここに現れる雲の表現は、元代に新たに創出されたものというよりは、中国の説話画と神仙山水が重なる枠組みの中で伝統的に保持されてきたものと考える方が穏当であろう。上述の二図に見られる雲は水墨による表現なので、それ自体は唐代まで遡る根拠を持つとは直ちには言えないが、雲の形態自体は古くから存在したと考えることもあながち無理ではないと判断される。あるいは、水墨であるが故に柔らかい曲線的な表現になっているが、水墨以前の細線描の時代には直線的に長く尾を引く雲の尾も描かれていたのではないか。事実「唐僧取経図冊」でも細線描による場合は直線的にたなびく雲がしばしば描かれているし、遡れば馬王堆の「雲気神獣図」のような作例も存在するのである。直線的な雲はより古態を示すものと考えてもよいのかもしれない。「唐僧取経図冊」のように仏教説話画と神仙山水が混淆しながら一つの画面を作り、そこに多様な雲気表現を展開した作品が、唐代に作られており、そこで確立された造形語彙が元代の「唐僧取経図冊」の成立につながるとともに、より近い時期には、日本にも影響を及ぼして「信貴山縁起絵巻」を描く際の範例となったのではないだろうか。以上やや巨視的になりすぎたが、形態感の類似性を根拠に、前二世紀の馬王堆「雲気神獣図」から十四世紀元代の「唐僧取経図冊」を結ぶ神仙的な雲気表現の伝統の中― 5 ―

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