鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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気高い思い、聡く価値ある思念を、魂はそこに刻み込んだ、本当の名誉によって偽りの、恥ずべき虚偽を、当の罠に締め付け、地面に追いやった同様にヴァルキも、以下の連句を書いている。無知な嫉妬を鎖につないでダンティは名誉を刻めれば、そはひとつの彫像や、ふたつの彫像やと問わんほどなる。ヴァルキの詩が実際に作品に対する批判があったことを意識して「無知な嫉妬」(invidia indotta)と書いているのかどうかは、今回の資料調査でもなお確認できなかったけれども、しかしここでわたしたちは始めて、ダンティはすでにヴァルキのようなフィレンツェの文人、知識人集団とすでに親しく交わっていたとの確証を得ている。おそらくアルメーニ邸は、彼らを親しく迎えるサロンのひとつだったと想定すべきであろう。実際、《虚偽に打ち勝つ名誉》ような作品もまた、サロン集団でのきわめて特殊な意図か、変幻自在に多様な意味性に解釈しうるものだったように見える。その主題自体、プシコマキアの偽装のような徳の一般礼讚なればこそ、むしろそれは一義的な意味を持っていないかもしれないし、もともと作品自体─ジャンボローニャの《サビナの女たちの略奪》のような─技量の誇示だったという可能性も無視できないだろう。そこには政治的意味すらありうる。かつてメディチ家の中庭のために制作されたドナテッロの《ダヴィデ》やバンディネッリの《オルフェウス》が、政治的意味を担っていたように、ひとびとの眼に触れやすい中庭の彫像には独特の意味がありえた。例えばアルメーニのように宮廷人としてよく仕えるということは、まさに欺瞞に対する名誉の勝利ではなかろうか。あるいはコジモの支配するフィレンツェは、虚偽をも一掃する理想の世界であるとは見なされないだろうか─いずれにせよ、それは臣下の擬態のメッセージだった可能性すら排除できないであろう。類型論的に見れば、上下に折り重なる二人群像という形式はミケランジェロの《勝利者像》以降、チンクェチエントに広く愛好された。例えばアンマンナーティのナー― 149 ―

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