鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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から、十二世紀日本の「信貴山縁起絵巻」剣の護法の乗雲が枝分かれしたと考えたい。その意味で、剣の護法の乗雲は「信貴山縁起絵巻」の作家が神仙山水に範をとった痕跡なのである。第二節 尼公巻のユートピア性「信貴山縁起絵巻」の基調を成す神仙世界的ユートピア性は、尼公巻において最もよく現れている。姉の尼が旅の途次で出会う人々の、幸福に自足した生活の様子はそれ自体が神仙境の表現である。尼公巻における神仙山水的痕跡の最たるものは、物語のクライマックスに現れる。長旅の末、東大寺の大仏殿で弟命蓮の行方について夢告を得た姉の尼は、彼のいる未申の方の山を目指して歩み出す。尼公は濃い朝霧に包まれて、眼前には虚無の空間が茫漠と広がる。その閉ざされた視界の中をおぼつかない足取りで進むうちに、雲海の中に浮かぶ信貴山の威容が姿を現してくる〔図5〕。この広大な虚無の空間の後に浮かび上がる山岳の表現は、神仙山水における海中に浮かぶ仙山の構図と等しい。例えば、伝王先筆「煙江畳嶂図巻」〔図6〕を見てみよう。ここでは、右下隅に小さく此岸が描かれたあと、幅の広い江水が巻の半ば以上まで続き、左端にいたってようやく水上の主山が現れる。題名は「煙江畳嶂図巻」であるから、ここは大河の中の小島のようなものであろうか。しかし、此岸から遙かに隔たって水上に浮かぶ小島は、むしろ仙山そのものである。事実同題の王先画に寄せた蘇軾の詩は、桃源郷を引き合いに出して画面に神仙境を読み取っている(注6)。「煙江畳嶂図巻」では、右岸と左岸の緊密な連携が無くなるほど、川幅は左右に引き延ばされ、主山は孤立して海中に浮かぶ仙山のように隔絶した神秘性が生み出されている。何も描かれない空間の先に、神秘的な仙山を大観的に描く手法は「信貴山縁起絵巻」尼公巻の場合も同じであり、神仙山水を描く構図法が共通に利用されているものと思われる(注7)。ただ、「煙江畳嶂図巻」の場合は、江水の奥行きが無限遠にまで広がる開放された空間であるのに対し、「信貴山縁起絵巻」尼公巻の場合は、霧に閉ざされた閉鎖的な空間である点は相違している。これは尼公巻の場合は、地理上、広大な水景があるわけではないため、尼公を朝霧に閉ざすことで隔絶感を可視化しようとしたものと考えられる。立ちこめる朝霧の中を通過することは、神仙境へ至るための浄化と再生の過程を象徴的に表しているとも― 6 ―

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