南北に二本ずつ、計八本の沙羅の木が配され、その背後には墨の濃淡によって雲霞が表現される。自性院・安養院本に描かれる諸場面には短冊が配されており、墨書によって各場面の主題が判明する。画面中央の涅槃の場面には「世尊大□(涅カ)槃之處」と記されておりこの場面が「涅槃」である〔図2〕。その左から反時計廻りに見ていくと、まず「世尊昇空示大衆之處」とあり、釈■が宙に浮いて光明を放ち、自分が涅槃に入ることを告げる「虚空上昇・顕紫金身」の場面である。次に左下は「世尊受純陀供養之處」とあり、鍛冶師の息子である純陀が釈■に最後の供養をする「純陀供養」の場面、そして右下には「世尊爲母起説法之處」とあることから天上から降りてきた実母摩耶夫人に対して釈■が説法を行う「再生説法」の場面が描かれる。画面右には「力士擧■葉棺不動之處」とあり釈■の棺を動かそうとしても動かなかった場面、右上には「□□□□□(聖棺不擧旋カ)拘尸城之處」とあり釈■の棺がひとりでに空を飛んだという「金棺旋回」の場面、画面上は「如□(来カ)爲■葉出両足之處」とあることから釈■の涅槃に遅れて来た大■葉のために釈■が棺から両足を出した場面である「大■葉接足」、そして画面左上には「香姓婆羅門分舎利之處」とあり荼毘された釈■の遺骨を八つに分ける「分舎利」の場面が描かれる。これに加えて「大■葉接足」と「分舎利」の間に天上から摩耶夫人が下りてくる場面が描かれている。自性院・安養院本のように、涅槃の場面をひと際大きく描きその周囲に涅槃前後の場面を配するという形式は、現存する八相涅槃図の特徴である。このような、日本で制作された八相涅槃図に先行する作例として注目されるのが、大阪・叡福寺に所蔵される、南宋仏画と考えられる涅槃図である。画面は縦110.2cm、横59.4cmという日本の作例と比べると小さなものであるが、その中に涅槃前後の八場面に加えて摩耶夫人が下天する様子が描かれており、小さい画面の中に所狭しと事物が配置されている。画中には自性院・安養院本と同様に短冊形を用いて場面の説明を墨書したものが配される。それらを見ていくと、画面中心に「涅槃」の場面を描き、右下から反時計回りに「金棺不動」、「金棺旋回」、「阿難説法・帝釈天請舎利」、「虚空上昇」、「顕紫金身・純陀供養」、「荼毘・大■葉接足」、「分舎利」の各場面が描かれる(注2)。またそれに加えて日本の八相涅槃図と同様画面上部には摩耶夫人が下天する様子が描かれる。また叡福寺本の中央下部には短冊形の区画を設けて「泉涌寺」と追記されており、もともと京都・泉涌寺に伝来していた作品であることが判明する。先に見た自性院・安養院本と叡福寺本の図像を比較してみると、「金棺不動」や「金棺旋回」、「分舎利」の場面に共通した図像が用いられており、自性院・安養院本が制― 157 ―
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