鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
168/537

作される際に、叡福寺本のような中国から舶載された図様が用いられていたと考えられる〔図3、4〕。自性院・安養院本と同様の図様を用いた作例としては他に京都・万寿寺本や岡山・遍明院本などがあり、涅槃図の一形式として広く制作されていたことが知られる。しかし自性院・安養院本には叡福寺本には見られない図様・変相場面が描かれている。特に注目されるのが、涅槃の場面における沙羅の木が上方で折れ曲がっている表現である。このような表現は他にも鹿児島・龍巌寺本や広島・浄土寺本の区画中の変相図、奈良・新薬師寺本、京都国立博物館本などに見られる。このように木が折れ曲がるという表現は、『四座講式』中の「遺跡講式」に由来するものであろうことは以前論じたことがある(注3)。『四座講式』は鎌倉時代の僧明恵房高辨(1173−1232)によって■述されたものである。「涅槃講式」、「十六羅漢講式」、「遺跡講式」、「舎利講式」の四段からなるもので、特に「涅槃講式」には自性院・安養院本に通ずる記述が見出せる。先に挙げた折れ曲がる沙羅の木の他に、自性院・安養院本に描かれる「虚空上昇・顕紫金身」、「金棺不動」、「金棺旋回」、「大■葉接足」、「荼毘」、「分舎利」の各場面が、「涅槃講式」に説かれた順番通りに反時計回りに円環状に配されている点が挙げられる(注4)。これは叡福寺本には見られない配置であり、「涅槃講式」に依拠した独自の選択によるものと想定される。そして画面下部には「涅槃講式」中には説かれない「純陀供養」と「再生説法」の二場面が描かれている。これら二つの場面に関しては、「応徳涅槃図」や「釈■金棺出現図」など平安時代より続く涅槃図の伝統として、両場面の主役である純陀と摩耶夫人はセットで描かれることが通例であった。実際に自性院・安養院本の両場面を見れば、図像的にこの二つの場面が線対称の関係にあることが看取され、両場面は日本で独自に付け加えられたものと考えられる。つまり自性院・安養院本に代表される八相涅槃図は、南宋仏画の図様を参考としながらも、明恵の■述になる『四座講式』や旧来の涅槃図の伝統を組み合わせて制作された作例であると考えられよう(注5)。鹿児島県 龍巌寺本龍巌寺本は縦254.3cm、横188.0cm(一枚絹)の画面に、涅槃変相図と、その両脇に仏伝図を描くという特殊な画面形式の作品である〔図5〕(注6)。画面の周囲には当初の描表装が残っており、様々な色の牡丹と、オウムのような白い鳥が描かれている。全体的に画面の損傷が激しく補絹が所々施されており、画面上端には別絹が足されている。しかし補彩などはあまり見受けられず、制作時期としては鎌倉時代末期頃の作― 158 ―

元のページ  ../index.html#168

このブックを見る