に到ろうとする明恵の意図をより具体的に追求した結果と見ることができよう。ここで龍巌寺本の図像について細かく見ていくと、周囲の会衆や涅槃変相図、仏伝図の各部分にそれぞれの図像の源泉を見出すことができる。特に涅槃変相図の部分に注目してみれば、例えば龍巌寺本に描かれる会衆の姿は京都・長福寺に所蔵される涅槃図の図像そのままであり、涅槃変相図については上述した大阪・叡福寺本の涅槃変相図の図像が用いられている。また両脇の仏伝図の部分に関しては、福井・劔神社本に描かれる仏伝図部分の図像とほぼ共通している。以上龍巌寺本は、明恵上人の■述になる『四座講式』の影響の下、長福寺本や叡福寺本などの宋本に加えて、ほぼ同時代の制作になる劔神社本など様々な要素を取り込んで制作された作例であることが判明する。これまで鎌倉時代に制作された二つの涅槃変相図を概観してきたが、その制作背景について特に『四座講式』の影響が顕著に見られる点、日本で普及した涅槃変相図のオリジナルとして叡福寺本が想定される点などが明らかとなった。このようにオリジナルと考えられる宋本が現存していることは稀有な例であり、また『四座講式』という日本独自の思想背景を明らかにすることで、当時の社会が外来の新しい文化をどのように摂取していたのか具体的に考察していくことが可能となる。以上を踏まえた上で、涅槃変相図は涅槃図の歴史の中でどのように位置づけられるだろうか。日本における涅槃図の展開日本の涅槃図の展開を現存作例に沿って概観していくと、まず注目されるのが応徳三年(1086)に制作された和歌山・金剛峯寺本である。現存する涅槃図中の最高傑作が最古の作例という興味深い作例であるが、これ以降涅槃図の現存作例はその数を増していく。平安時代の代表的な作例としては、兵庫・鶴林寺本、奈良・達磨寺本、東京国立博物館本などが挙げられる。そして鎌倉時代に入ると滋賀・石山寺本、奈良・新薬師寺本、奈良・宗祐寺本などが初期の作例として著名である。現存作例の数から見れば、平安時代の作例と鎌倉時代初期に制作された涅槃図の作例は数える程度のものであるが、鎌倉時代後期以降になると状況が一変し現存作例数は一気に増加する。これは国の文化財に指定されている涅槃図の内、鎌倉時代後期から南北朝時代に制作された涅槃図が全体の七割近くを占めることからも窺い知ることができる(注10)。このように時代毎の現存作例数に注目してみると、特に鎌倉時代後期から南北朝時代にかけてが涅槃図制作の一つの頂点であったと言えるだろう。和歌山・金剛峯寺本が制作されてからおよそ250年近い年月が経過しているわけで― 160 ―
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