鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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あるが、この間に涅槃図の様式も多様な変化をみせていった。中野玄三氏は数ある涅槃図の形式を比較検討し、大きく二つに分類する方法を指摘された。簡単にではあるが中野氏の説をまとめたものが〔表1〕である(注11)。中野氏の説は涅槃図そのものを分類する上で非常に有益と思われるが、上述した自性院・安養院本や龍巌寺本など、変相図や仏伝図が描かれた涅槃図群に関しては述べられてはおられない。今回取り上げた自性院・安養院本や龍巌寺本などの変相図や仏伝図を描き加える涅槃図には、明恵上人の『四座講式』や、南宋仏画の叡福寺本や長福寺本の影響が顕著にみられた。このように涅槃変相図は、涅槃図の歴史の中にあって独自の展開を遂げており、かつ多くの作例が現存していることから、涅槃変相図(仏伝涅槃図を含む)を一つの独立した形式として捉え直す必要性があるのではないだろうか。そこで試論ではあるが、涅槃変相図に関して以下の二つに分類する方法を提示したい。①涅槃前後の場面を描く一群(自性院・安養院本や広島・耕三寺本など)②仏伝図を加える一群(劔神社本や愛知・真珠院本、龍巌寺本など)①に関しては、さらに二つに分類できることが武田和昭氏によって明快に指摘されている(注12)。即ち、自性院・安養院本や万寿寺本、遍明院本などをAグループとし、叡福寺本や長崎・最教寺本、香川・常徳寺本などのBグループとする分類法である。画面構成からいえば、Aグループが画面下部に「純陀供養」と「再生説法」を配するのに対して、Bグループでは画面上部に「阿難説法・帝釈天請舎利」と「顕紫金身・純陀供養」を配している。以上の分類法を、中野氏の分類法によりつつ総合したものが〔図6〕である。各形式は図像により更に細分化されるが、それは今後の検討課題としたい。涅槃図の各形式と編年について最後に簡単ではあるが、涅槃図の各形式の編年について私見を述べてまとめとしたい。まず金剛峯寺本をはじめとして鶴林寺本、達磨寺本、東博本などいずれも平安時代の作例であり、Ⅰ型が涅槃図制作の盛んになっていく中での最初の形式といえよう。この形式は、鎌倉時代に入っても石山寺本や新薬師寺本、愛知・宝生院本などに受け継がれていくが、鎌倉時代をほぼ下限としてⅠ型の流行は下火になっていく。その一方で、鎌倉時代に入ってから流行しはじめるのがⅡ型である。鎌倉時代初期の制作と考えられる奈良・宗祐寺本をその上限とするが、Ⅱ型で鎌倉時代初期・中期の作と考えられるものは管見の限りこの一点のみであり、文永十一年(1274)に制作され― 161 ―

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