鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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悪夢」のようだと揶揄する(注11)。それに加え、同じローマ・ビエンナーレでのデ・キリコについて、美術評論家マルゲリータ・サルファッティ(1880−1961)は、理想がベックリーンである上、イタリアの1600年代にも影響を受けていて、「奇妙に混成的で痛々しい」と述べている(注12)。このようにデ・キリコの混成性への批判は繰り返されたが、一方で、こうした批判は、かけ離れた要素の混在という彼の作品の特質を的確に捉えているとも言える。逆にこの混成性を擁護しているのが、春のフィレンツェ展の図録に掲載されたマリオ・ブローリオ(1891−1948)によるデ・キリコの紹介文であろう。ブローリオは、『ヴァローリ・プラスティチ』の主幹を務め、当時の古典回帰の傾向を後押しする一方、デ・キリコやカッラなどの論考や図版を同誌に掲載したり、彼らの作品を携えてドイツで巡回展を行ったりし、結果メタフィジカ絵画をイタリアはもとよりドイツなどでも広めた。当時デ・キリコの批判者も擁護者も、メタフィジカ絵画をマネキンなどのモチーフでのみ捉えていたきらいがあるのに対し(注13)、ブローリオは、先に触れた紹介文で、メタフィジカなるものを「特別な魂の状態」とし、この魂の状態の絵画化には「異種の、幻想的に不合理な要素」が手助けをすると述べ(注14)、冒頭で触れたデ・キリコによるメタフィジカの定義までも示唆している。また、デ・キリコが批判されたのはおもに「引用」による混成性であったが、この引用という手法が、1980年代のローマでは、「アナクロニズモ」などと呼ばれる傾向の特徴と捉えられるようになる(注15)。これに属する画家には、デ・キリコに言及する者や彼のモチーフを引用する者がいて、反絵画が主流だった時代にこうした傾向がローマで生まれたのは、デ・キリコがこの地にいたからこそと述べる美術史家もいる(注16)。そして、アナクロニズモの重要な要素として「建築」が挙げられていて(注17)、実際彼らの作品の多くに建築表現が見られることも興味深い。なぜなら、建築表現はデ・キリコがメタフィジカ絵画の重要な要素と考えたものであり、さらには、彼が古典絵画の建築表現に関する論考を発表した1920年頃から、スクオーラ・ロマーナの画家も各々の手法で試みはじめたものだからである。次節では、この建築表現に着目し、デ・キリコとスクオーラ・ロマーナの関係を見ていきたい。デ・キリコとスクオーラ・ロマーナにおける建築表現デ・キリコは、1920年5−6月号の『ヴァローリ・プラスティチ』に「古典絵画における建築的感覚」を、その続編ともいうべき「古典絵画についての考察」を『イル・コンヴェーニョ』の1921年4−5月号に寄せ、絵画における建築表現の重要性と― 168 ―

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