鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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歌手が、手前右手画面端に(後の《カフェ・コンセールの一角》の)女給仕が、画面左には(後の《カフェで》の)女性客、そしてその女性客と背中合わせになる形で横向きの女給仕の姿がわずかに描かれていた(注8)。画中の人物たちの顔の向きに変更が加えられていないとすれば、客の殆どが舞台を向いていたことになる。それに対し右側の女給仕は(この段階では身体の肩の部分までで画面が終わっている)右端でビールジョッキを手に鑑賞者の方へ身体を向け、さらに左の女性客は鑑賞者の方へ視線を投げていることから、二人は少なからず舞台とその観客から切り離された異質な位置づけにあるとも考えることができる。1−2.《カフェで》マネは《レクスオフェン》に少女とポスターの一部を描いた後、カンヴァスの切断と再統合を行い、二作品にし、それぞれ加筆を行っている(注9)。《レクスオフェン》から独立した《カフェで》は、《レクスオフェン》の女歌手と舞台が消された後、少女と窓ガラスのポスターが追加され画面左半分が切り取られたものである。ここで現在の《カフェ》での少女の服装(白い襟や上着)を考えてみると、一見女給仕のそれによく類似しているようにも見え、舞台の代わりに少女を描いた段階でマネが一時的にこの少女=女給仕を中心にした構想を考えていた可能性も否定できない。だがマネは少女と男性の間で縦にカンヴァスを分割し、更にポターの右端部分で(少女一人を含む形で)再度縦に分割した。最終的に少女を含んだカンヴァスの一部は再び左側のカンヴァスに統合される。結果として《レクスオフェン》の分断によって左半分のカンヴァスが独立した作品となり、女性客は作品のほぼ中央に来ることになった。ポスターが貼られた画面奥に窓ガラスが描かれ、《レクスオフェン》の舞台に取って代わったものと考えることができる。左の女給仕は客に混じっており最小限の存在にとどめられている。女性客に目をやれば、彼女の鑑賞者へ視線を送りながら手前の椅子に手を掛けるその仕草は、鑑賞者をより強く画面へと引き込もうとしているかのようである。この《カフェで》の段階で中央に寄せられたことでその誘因力はことさら強調されたように思われ、《フォリー=ベルジェールのバー》のカウンターで客を迎えるバーメイドの役割と重ね合わせることも可能である。1−3.《カフェ・コンセールの一角》《カフェで》と同様に、《レクスオフェン》から独立した《カフェ・コンセールの一角》には、改めて舞台と踊り子が描き加えられた。さらにカンヴァスも画面右辺に追― 187 ―

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