鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴斉藤月岑『増訂武江年表2』(東洋文庫118)、平凡社、1968年、259頁。⑵亀井武『日本写真史の落穂拾い』日本写真協会、1991年、135頁。⑶日本写真協会編『日本写真史年表 1778−1975.9』講談社、1976年、97頁。⑷日本写真家協会『日本写真史1840−1945』平凡社、1971年、358頁等を参照のこと。⑸高島平三郎『婦人と家庭』敬文館、1912年、148−150頁。⑹写真の迷信については石井研堂『増補改訂明治事物起源(下巻)』春陽堂、1944年、979−980頁としての肖像画のありかたの名残が残ったものと言える一方、明治期の(素人)女性が私的に自らの姿を写真におさめる際、写真の複製性を拒否することで自らのイメージが目にふれられる機会を限定・制限するという側面も否定できない。不特定のまなざしの呪縛をうけた、自らを商品化する「イメージの可視性」を封じこめる手段として、写真の複製性が拒否されたと見ることができないだろうか。4 おわりに本稿では、明治期における写真、「写真的なもの」について考える一つの手掛かりとして、近代的視覚メディアとしての写真が肖像イメージの領域に入り込んだ時そこに生じた摩擦や、写真メディアとの関係性の亀裂について論じた。紙幅の制限上、肖像画と写真との関係性にまつわる一部の側面のみしか触れることができなかったが、明治期における「写真的なもの」は、複製技術として写真の特性、ならびに迫真性に富む写真リアリズムへの懐疑的なまなざしが色濃く現れたコンセプトであることが明らかになったと思う。これまで、日本初期写真史はグローバルなメディアであった写真の波及を基軸として、単線的な歴史として語られてきた。この問題意識のもと写真の単層性の幻想から脱し、明治期の写真を「ローカルな写真実践」と再定義し、そして既存の視覚文化の文脈から明治期特有の写真観を問い直すことは、日本における写真のありかたを多元的な写真史の枠組みの中で捉えることにつながる。本稿が日本初期写真史を複眼的観点から見直す端緒となれば、幸いである。等を参照のこと。⑺主要なものは以下の通り。Nicolas Peterson and Christopher Pinney (eds.) Photography’s OtherHistories. Durham: Duke University Press, 2003; Rosalind C. Morris (ed.) Photographies East: TheCamera and its Histories in East and Southeast Asia. Durham and London: Duke University Press, 2009.同様のアプローチをもとに東アジアにおける写真実践・コンセプトを分析したものについては、次の研究がある。Maki Fukuoka “Between Knowing and Seeing: Shifting Standards of Accuracyand the Concept of Shashin in Japan, 1832−1872.” PhD diss., University of Chicago, 2006; Oliver Moore“Photography in China: a Global Medium Locally Appropriated, “IIAS Newsletter 44 (Sommer 2007),― 201 ―

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